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正嘉三年、 3月26日に改元して正元元年(1259年)

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天皇
月日
記事
西暦‬1259年
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89代後深草天皇
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正嘉三年
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 月 日
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吾妻鏡
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この年 吾妻鏡の記載なし、散逸と推定される。年間の主な事件のみを列挙する。
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   ※年令: 前年に執権を退いた北條時頼は31歳、 同じく連署を退いた北條重時は60歳、
六代執権に任じた北條長時は28歳、連署に就任し後に七代執権になる北條政村は55歳、
八代執権になる北條時宗は7歳7ヶ月、同母弟の宗政は5歳10ヶ月、庶兄の時輔は10歳6ヶ月、
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安達泰盛は28歳、 足利氏四代当主足利泰氏は43歳、 宇都宮氏六代当主宇都宮泰綱は57歳、
古参の評定衆二階堂行義は56歳、 後に権力を握る御内人平頼綱は18歳、
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六代将軍の宗尊親王は16歳、第89代後深草天皇は15歳、先帝の後嵯峨上皇は37歳、
12月に践祚して第90代亀山天皇となる恒仁親王は9歳5ヶ月、   (表示は全て1月現在・満年齢)
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西暦‬1259年
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89代後深草天皇
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正嘉三年
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月日不詳
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史 料
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律宗の忍性北條重時に招かれて鎌倉に入り、当時は地獄谷と呼ばれていた現在の極楽寺(極楽寺坂の合戦(サイト内リンク・別窓)を参照)の地に釈迦堂を与えられて定住した。死骸を遺棄したり身寄りのない病人が集団で暮らしたりした、文字通り地獄のような谷間だったと伝わっている。
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一説には深沢にあった念仏宗の寺を重時が移設し、中興開山として忍性を招いた、あるいは藤沢から古い寺を移した、あるいは平安時代中期に創建した古刹があった、など創建に関しては不明確な点が多い。
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文応二年(2月20日に改元して弘長元年・1261年)4月の吾妻鏡には
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将軍宗尊親王が室家を伴って奥州禅門(重時)が新造した極楽寺山庄に入り、翌日には笠懸けを見物した。
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との記載があり、山庄の完成と共に極楽寺もそれなりの体裁で完成し、重時はここに定住していたと推測できる。ただし、この年の11月に重時の病状は悪化し3日には念仏を唱えつつ死没、忍性を導師として極楽寺に葬られた。
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晩年の重時の呼称は極楽寺殿、子孫は極楽寺流北條氏として得宗家に次ぐ高い家格として幕政を主導する人材を輩出している。
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右画像は極楽寺寺域の絵図(江戸時代)の作。最も繁栄していた鎌倉時代末期には49もの支院を持ち、施薬や救済施設など多くの建物が林立していたというから、その頃を想像して描いた物だろうか。幕府の滅亡後は荒廃・中興・火災を繰り返し、江戸時代末期には無住状態になっていたらしい。
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西暦‬1259年
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89代後深草天皇
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正嘉三年
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廻国伝説
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史 料
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北條時頼の廻国伝説はこの頃に作られた、との説がある。
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北條長時に執権職を譲った時頼が「諸国を廻って世情を観察し施政に役立てた」という美談である。多くの政敵を殺し、死ぬまで最高権力者の地位を手放さずに独裁を貫いた時頼が諸国を巡って民衆の願いを聞き届けたなど笑止千万だが、日本人はこの手の話が大好きらしい。
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生涯で関東地方から離れた記録も残っていない徳川光圀(水戸黄門)が諸国を漫遊していたり、徳川吉宗が白馬に跨って江戸市中の悪人を滅ぼしたり...荒唐無稽で根拠のない美談は結構多い。
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あと何十年か過ぎたら「安倍晋三という名君が昭恵夫人と力を合わせ、アベノミクスを駆使して不正や忖度を排除し、日本を豊かな国にした」なんて伝説を生み出す、かも。冷静に考えれば、この数年で達成した僅かな景気回復は日本人の勤勉さと世界情勢の変化が生み出したもので、アベノミクスや日銀の貢献など評価する値打ちもない事ぐらい判る筈なのに。
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右画像は栃木県佐野市郊外に残る佐野源左衛門常世の墓所。もちろん熱海の「お宮の松」や、大手町の将門の首塚や、各地にある曽我兄弟の墓や、天の岩戸や、それらと同列に扱うべきなのは間違いない。
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          画像をクリック→ 佐野源左衛門常世の墓所と「鉢の木」(サイト内リンク・別窓)へ。
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西暦‬1259年
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89代後深草天皇
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正嘉三年
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3月26日
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史 料
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   ※皇年代略記: 改元あり。疫病や飢饉や地震などの頻発による。
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   ※五代帝王物語: 春から疫病の流行が著しく、庶民の家は全て病人を抱えている。川原には死骸が満ち溢れて
崇神天皇の御代を思わせる。諸国七道の民の多くが死んだ事もあって3月26日に年号を正元に改める詔勅が発せられた。
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   ※崇神天皇の御代: 古事記に拠れば、第10代崇神天皇五年(推定で西暦250年前後の、半ば神話の世界)に
疫病で多くの人民が死に絶えた、と伝わっている。
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西暦‬1259年
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89代後深草天皇
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正元元年
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4月 日
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史 料
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   ※皇年代略記: 4月11日、日吉二宮と十禅師で火事。4月27日、清水の塔などで火事。
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   ※百錬抄: 飢饉と疫病の流行に対応する祈祷のため二十二社に(朝廷から)権大納言藤原資季(wiki)卿らの
奉幣使を派遣した(去る11日の日吉社の火事で延期)。今日から疫病に対する祈祷として諸社での七日間の仁王経御読経を行なう。
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   ※日吉二宮: 現在の新日吉(いまひえ)神宮(公式サイト・ 地図)。
保元三年(1158)に法住寺殿(現在の三十三間堂の南側一帯)を創建した後白河法皇が法住寺殿の鬼門を守るため勧請した、と伝わる。当時はもう少し南側にあったらしい。
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   ※十禅師: 現在の五条大橋から約500m北側に架かる松原橋の
東側一帯が平安時代の「十禅師の森」。
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義経記では弁慶が牛若丸(義経)の家来になる約束した場所と伝わっている。江戸時代になって十禅師の森の跡地に創建された寿延寺には「五条大橋旧跡の碑」があるけれど、この辺が鴨川の旧流路だったのか?
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   ※清水の塔: 現在の三重塔(承和十四年・847年の創建)を差す。
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清水寺の塔としては第45代の聖武天皇(在位724~749年)・光明皇后夫妻が建てた祈願所と伝わる子安塔があり、この塔の旧跡は三重塔より更に市街地寄りなので、こちらが焼けた可能性も考えられる。
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   ※二十二社: 平安京を守護するため延喜十四年(914)前後から畿内に置かれた22の神社を差す。
第69代後朱雀天皇の長暦三年に22番目の日吉社が加えられ、第72代白河天皇の永保元年(1081)に二十二社として制度化された。
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   右画像は記載地点をマークした鴨川東岸の地図 (画像をクリック→ 拡大表示)
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西暦‬1259年
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89代後深草天皇
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正元元年
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5月 日
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史 料
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   ※五代帝王物語: 5月4日 岡屋入道が岡屋で死去した。
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                岡屋入道は関白太政大臣・藤原氏長者の近衛兼経(wiki)。正嘉元年(1257)に出家し、
政界から引退して余生を宇治岡屋荘(地図)で過ごしていた。
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   ※五代帝王物語: 5月5日 正月上旬から死人の肉を喰ふ小尼が出没
している。14・5歳の小尼が内野から朱雀大路を南に下り死人に跨って肉をむしり取り食べていた。見るに耐えない出来事で、子供らに前後から打擲され鳥羽の方へ去ったが、その後の消息は判らない。
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                内野は平安京大内裏の跡。再三の火災により
安貞元年(1227)には完全に放棄されて内野と呼ばれる荒れ野になっていた。
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   ※百錬抄: 5月5日 最近のこと、13・4歳ほどの小尼が一條壬生辺り
で死人の肉を引き裂いて食べていた、と。未曾有の出来事である。
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右画像は大内裏の跡と現在の京都御苑(画像をクリック→ 拡大表示)
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西暦‬1259年
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89代後深草天皇
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正元元年
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5月22日
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史 料
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   ※百錬抄: 子刻(深夜0時前後)に、閑院皇居(里内裏)が炎上した。主上は輿に乗って三條坊門殿に行幸した。
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西暦‬1259年
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89代後深草天皇
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正元元年
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8月 日
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史 料
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   ※五代帝王物語: 七月の末から疫病も下火になり、何とか豊年を迎えられそうな様子になった。
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西暦‬1259年
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89代後深草天皇
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正元元年
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8月26日
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史 料
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   ※百錬抄: 皇居に居た東宮(後の亀山天皇・10歳)が大宮殿に行啓。御元服の準備である。
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西暦‬1259年
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89代後深草天皇
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正元元年
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8月28日
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史 料
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   ※百錬抄: 東宮が皇居大宮殿で御元服の儀あり。加冠は右大臣傳)、理髪は堀川中納言基具卿。
儀式後に東宮は上皇の御所(大炊御門殿)に行啓、拝覲の儀あり。
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西暦‬1259年
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89代後深草天皇
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正元元年
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11月3日
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史 料
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   ※百錬抄: (4月に炎上した)日吉社の正殿が新造され、遷宮となった。
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西暦‬1259年
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90代亀山天皇
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正元元年
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11月26日
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史 料
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   ※五代帝王物語: 春宮(皇太子・11歳)が即位した。
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   ※保暦間記: 後深草天皇が退位し、後深草上皇となった
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   ※増鏡: 譲位の儀式は通常通りに行われた。
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西暦‬1259年
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90代亀山天皇
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正元元年
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12月2日
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史 料
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   ※増鏡: 太上天皇の尊号を受けて新院(後深草上皇)となった。本院(後嵯峨上皇)と和やかに過ごされている。

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西暦‬1259年
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90代亀山天皇
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正元元年
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12月28日
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史 料
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   ※五代帝王物語: 即位の儀式あり。前帝(後深草)は新院として富小路殿に渡御、中宮も19日に院号を受けて
東二條院(公子)となった。
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西暦‬1259年
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90代亀山天皇
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正元元年
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 月 日
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史 料
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記事
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西暦‬1259年
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90代亀山天皇
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正元元年
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 月 日
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吾妻鏡
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記事
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   ※:
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西暦‬1259年
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90代亀山天皇
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正元元年
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 月 日
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吾妻鏡
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記事
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西暦‬1259年
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90代亀山天皇
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正元元年
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 月 日
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吾妻鏡
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記事
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西暦‬1259年
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90代亀山天皇
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正嘉三年
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 月 日
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吾妻鏡
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記事
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