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弘長四年(1264)、 2月28日に改元して文永元年
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天皇
月日
記事
西暦‬1264年
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90代亀山天皇
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弘長四年
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1月1日
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吾妻鏡
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  この年 吾妻鏡の記載なし、散逸と推定される。年間の主な事件のみを列挙する。.

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   ※年令: 六代執権の北條長時は34歳(8月に死没)、 長時を継いで七代執権になる北條政村は60歳、
八代執権になる北條時宗は12歳7ヶ月、 同母弟 宗政は10歳10ヶ月、庶長子 時輔は15歳6ヶ月、
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秋田城介安達泰盛は33歳、  足利氏四代当主泰氏は48歳、 古参の評定衆二階堂行義は60歳、
実務に堪能な評定衆二階堂行方は57歳、 弘安八年(1285)に権力を握る御内人平頼綱は22歳、
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六代将軍の宗尊親王は19歳、第90代亀山天皇は12歳、先帝の後深草上皇は18歳、
先々帝の後嵯峨上皇は40歳、        (表示は1月1日現在・満年齢)
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西暦‬1264年
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90代亀山天皇
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弘長四年
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2月28日
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史 料
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甲子革令に当たるため改元、弘長を改め文永と。
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   ※甲子革令: 60年に一度の甲子年には政治上の変革が起きると考える、根拠のない思想。
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西暦‬1264年
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90代亀山天皇
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文永元年
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2月28日
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史 料
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比叡山延暦寺で火災、夜間に山僧が自ら放火して講堂・常行堂・妙見堂・鐘楼・法華堂・四王院・延命院・戒壇院八部院に至るまで焼き払った。衆徒の理不尽な要求に対する回答が遅れた怒りが原因である。
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西暦‬1264年
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90代亀山天皇
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文永元年
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3月25日
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史 料
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延暦寺の衆徒が日吉七社の神輿を掲げて皇居(二條高倉東洞院)及び一院(冷泉高倉)・新院の御所で振り回し放棄、さらに放火。武士と闘争になり死者が出た。
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西暦‬1264年
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90代亀山天皇
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文永元年
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3月27日
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史 料
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天王寺別当の三井寺赴任を中止し、比叡山の強訴を容れて室町前大納言四辻実藤を淡路島に流す。
(文永三年(1266)の間違い?)。
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西暦‬1264年
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90代亀山天皇
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文永元年
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4月29日
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北條九代記
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将軍正室の近衛宰子が若君(後の七代将軍惟康親王)を出産。御験者は良基僧都と清尊法印、医師は典薬頭時長朝臣。
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西暦‬1264年
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90代亀山天皇
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文永元年
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5月2日
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史 料
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園城寺(三井寺)が三摩耶戒(戒壇)を設置すると聞いた比叡山の衆徒が園城寺を襲撃して合戦、如意寺だけを残して全てを焼き払った。
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   ※如意寺: 園城寺から鹿ヶ谷に向かう山岳地帯にあった広大な別院。園城寺で出家・修行した八幡宮別当僧正
隆弁が再建に尽力した。詳細は建長四年(1252)10月2日の吾妻鏡を参照されたし。
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西暦‬1264年
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90代亀山天皇
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文永元年
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5月3日
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史 料
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北條(大仏)朝直が死没(58歳)。
西暦‬1264年
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90代亀山天皇
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文永元年
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5月4日
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史 料
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去る二日より三井三別所、関寺および大津の付近に放火。六波羅の武士と比叡山の衆徒が斬り合い騒乱となった。
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   ※三別所: 10世紀末に建立された三ヶ所(微妙寺・尾蔵寺・近松寺)
の円城寺別院。いずれも遠い昔に廃絶し、現在は痕跡が辛うじて確認できる程度。
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   ※関寺: 逢坂関の東、現在は長安寺が建っている地(地図)にあったと
される寺院で、南北朝時代に廃絶している。
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西暦‬1264年
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90代亀山天皇
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文永元年
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5月5日
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史 料
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園城寺の周辺が焼き討ちされ寺門(円城寺)の衆徒が追い払われた。円城寺の梵鐘は龍宮鐘と呼ばれる名品だが円城寺の衆徒はこれを放棄して逃亡、山門の衆徒はこれを奪い船で坂本に引き上げた。
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   ※円城寺の梵鐘: 近江八景の「円城寺の梵鐘」は弁慶が奪って比叡山に引き擦り上げて撞いたところ「いの~、
いの~(関西弁で帰りたい)」と鳴ったため谷底に投げ捨てたと伝わる銘鐘。
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大ムカデを退治した藤原秀郷(俵藤太)が感謝の印に琵琶湖の龍神から貰って円城寺に寄進したのが起源で、現在は撞くこともなく大切に収納されているらしい。
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西暦‬1264年
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90代亀山天皇
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文永元年
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5月21日
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史 料
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日照りが続くため醍醐の清瀧で祈雨の読経が行なわれた。
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   ※醍醐の清瀧: 現在の醍醐寺(公式サイト・地図)の境内にある 清瀧宮(wiki)。
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西暦‬1264年
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90代亀山天皇
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文永元年
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6月16日
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北條九代記
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引付頭の改組あり。一番は見西(北條時章)、二番は北條実時、三番は泰盛秋田城介安達泰盛
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西暦‬1264年
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90代亀山天皇
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文永元年
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6月22日
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史 料
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神泉苑で阿闍梨長者僧正道勝による祈雨の読経あり。
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   ※神泉苑: 現在の二条城東にあった禁苑。寿永三年()に後白河法皇が雨乞いの宴を催し、義経はここで
出会った、と伝わる。更に詳細は 京都 神泉苑の庭園から「鎌倉時代を歩く 参」へ。
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西暦‬1264年
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90代亀山天皇
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文永元年
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6月26日
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史 料
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彗星が東北の空に出現。
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西暦‬1264年
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90代亀山天皇
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文永元年
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6月29日
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史 料
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東寺(公式サイト)の灌頂院で祈雨のため阿闍梨長者僧正道勝による孔雀経法を催した。
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   ※灌頂院: 建立は承和十年(843)前後、天正十三年(1585)の地震で崩壊、寛永十一年(1634)に再建した
ものが現存する(非公開)。
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西暦‬1264年
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90代亀山天皇
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文永元年
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7月2、3日
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北條九代記
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(執権の)武蔵守北條長時が出家(法名を専阿)した。3日、極楽寺(北條)長時が執権を辞任した。
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   ※執権を辞任: 重篤な病に対応したもので、8月11日に死没する。
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西暦‬1264年
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90代亀山天皇
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文永元年
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7月5日
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北條九代記
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寅刻(早暁4時前後)、北東に彗星。芒気(尾)は丈余(3m以上)、旬月もの間半天に留まるのは未曾有である。
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   ※旬月: 10日または1ヶ月の意味だが、この場合は前者だろう。
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西暦‬1264年
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90代亀山天皇
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文永元年
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7月19日
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史 料
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(2月28日の火災で焼失した)延暦寺両堂が上棟した。
(8月10日に両堂が完成し本尊を遷したとの記録あり)。
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   ※延暦寺両堂: 延暦寺西塔の常行堂と法華堂を差す。左右に相対し、
一段高い部分(呼称は馬道)を設けた渡り廊下の下を通って本堂・転法輪堂に至る正門の役目を果たす。
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画像の左が常行堂(本尊は普賢菩薩)、右が法華堂(本尊は阿弥陀如来)。弁慶が渡り廊下を天秤のように担いで両堂を運んだとの伝説から併せて担い堂とも呼ばれる。両堂共に五間四方(約9m)。
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西暦‬1264年
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90代亀山天皇
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文永元年
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8月5日
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北條九代記
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(連署の)相模守北條政村が執権に就任した。
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西暦‬1264年
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90代亀山天皇
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文永元年
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8月10日
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北條九代記
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(小侍所所司の)北條時宗(14歳)が連署に就任した。
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西暦‬1264年
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90代亀山天皇
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文永元年
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8月11日
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北條九代記
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武蔵守北條長時浄光明寺(wiki・地図)で死去(36歳)。
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   ※執権の没年: 二代義時が60歳・三代泰時が68歳・四代経時が23歳・五代時頼が36歳・六代長時が35歳・
七代政村が68歳・八代時宗が33歳・九代貞時が40歳...全体として短命だ。
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西暦‬1264年
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90代亀山天皇
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文永元年
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8月22日
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史 料
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彗星が見えなくなった。
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西暦‬1264年
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90代亀山天皇
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文永元年
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10月某日
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北條九代記
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相模次郎北條時輔が六波羅南方に就任した。
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   ※相模次郎: 時輔の通称は相模三郎の筈だが...なぜ次郎と書いたか?
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西暦‬1264年
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90代亀山天皇
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文永元年
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11月11日
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史 料
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日蓮が襲撃されて負傷、いわゆる「小松原の法難」である。日蓮宗関連による記録は次の通り。
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弘長三年2月に北條時頼の赦免を得て鎌倉の草庵に戻った日蓮は生母妙蓮の重病と知り、12年ぶりに故郷の安房に向かった。既に臨終に近かった母親は日蓮の祈祷で回復し、更に四年間の寿命を得ることができた。
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日蓮はそのまま安房に留まって布教に専念し、帰郷を知った信者の一人で天津の領主を務める工藤吉隆が来臨を乞い願ったため、日蓮は10数人の弟子らと共に工藤氏の館に向かった。
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念仏信者の一人として日蓮による念仏宗攻撃に遺恨を抱いていた地頭の東条景信はこれを知り、日蓮の一行が小松原(現在の鴨川市)に差し掛かった時を狙って武装した数百人の念仏者を率いて襲撃、日蓮の弟子一人が殺され二人が重傷を負い、日蓮自身も景信の太刀を受けて右額の深手に加えて左腕を骨折する被害を受けた。
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   ※私の宗教観: 日蓮法難記事のついでに申し述べると、私は概ね完全な無信心・無宗教主義者です。
普通の宗教者に対する偏見はありませんが、権力と癒着する宗教者や自ら権力を得た宗教者は大嫌いです。その端的な例は安倍自民党に癒着して国民主権の侵害に協力し、議席のためなら理念も捨て去る創価学会と公明党。彼らは宗教者の顔をしたクズだと考えています。
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西暦‬1264年
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90代亀山天皇
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文永元年
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11月16日
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史 料
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北條宗政北條業時が翌年正月の弓始射手を指名する件について、連署した奉書(上申書)を提出している。この奉書は二人が小侍所別当を務めていた事を示しており、小侍所別当だった兄の北條時宗が8月11日に連署になった後を受けて宗政小侍所別当に任じたと推定される。
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西暦‬1264年
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90代亀山天皇
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文永元年
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12月22日
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北條九代記
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(執権に就任した)相模守北條政村が従四位上に昇叙した。
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西暦‬1264年
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90代亀山天皇
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文永元年
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 月 日
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史 料
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記事
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西暦‬1264年
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90代亀山天皇
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文永元年
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 月 日
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史 料
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記事
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西暦‬1264年
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90代亀山天皇
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文永元年
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 月 日
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史 料
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記事
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   ※:
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