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文永四年(西暦1267年)
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天皇
月日
記事
西暦‬1267年
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90代亀山天皇
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文永四年
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時期不明
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史 料
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    極楽寺忍性の推薦を受けた審海が六浦の称名寺に入り真言律宗に改めた。
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称名寺の創建時期は明らかではないが、金沢(金沢)流北條氏の二代当主北條実時が居館の敷地に建てた持仏堂(阿弥陀堂)が元になった、とされる。当初は真言宗だろうか
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父の二代執権義時から武蔵国久良岐郡六浦庄金沢郷(現在の神奈川県横浜市金沢区)を相続した初代は義時の五男実泰の五男)なのだが、若くして精神を病んだ(らしい)実泰は27歳で出家引退し当時11歳の実時が家督を継承したため、実時が金沢流の実質的初代と考えられている。
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八代執権時宗を補佐して幕政に資すると共に文化人としても能力を発揮した実時は後半生に膨大な蔵書を整理して金沢文庫を創設、源光行と親行父子が校訂した源氏物語の注釈書を編纂するなど、文化面でも大きな足跡を残している。
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右画像は称名寺(wiki)が収蔵する実時の肖像(国宝)。絹本着色、 巾53.7×74cm、僧形なのは引退した建治元年(1275)~同二年(1276)前後の作か。称名寺は他に三代顕時・四代貞顕像・五代貞将の絵像(全て国宝)を収蔵している。
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   ※審海: 下野薬師寺(サイト内リンク・別窓の中段)の住僧、寛喜元年
(1229)~嘉元二年(1304)。天変地異や飢饉での世情不安に加えて念仏宗・法華宗・禅宗が混在した仏教界にも危機感を抱いていた北條実時が弘長二年(1262)に真言律宗の高僧叡尊(wiki・忍性の師)を鎌倉に招聘した。
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半年ほど鎌倉に逗留した叡尊は北條時頼や実時らに授戒して西大寺に戻り、その後に鎌倉での布教を忍性が受け持った。
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当初の忍性は多宝寺(現在の日蓮宗妙伝寺(地図・右の鳥瞰図も参考に)に住み、実時没後には極楽寺を組織運営と布教の本拠とした。 審海は叡尊が鎌倉に滞在した時期に初めて忍性と面談し薬師寺に戻ったが、文永四年(1267)に忍性の強い要請を受けて称名寺の住持に任じた。
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この時の称名寺し既に実時が律宗に改めており、審海は弘安七年(1284)に僧侶の規範として「称名寺條々規式」を定めるなど、鎌倉時代後期以後の仏教界に足跡を残している。
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