政子が避難した伊豆山阿岐戸郷旧跡 

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阿岐戸郷(秋戸)旧跡。国道135号・伊豆山参道入口の500mほど南(熱海市街地寄り)の路肩に石碑が建つ。石碑以外には何もないのがなんとも侘しい。作家の永井路子氏は「草燃える」の原作になった「北条政子」の中で「もう少し熱海市街寄りにあった」と述べているが、この根拠は判らない。
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伊豆山神社の項目でも述べたが、伊豆山漁港(小波戸港)から熱海の錦ヶ浦にかけての海底(水深30m前後)には石造物遺跡が発見されている。これは鎌倉時代中期に海底火山の噴火に伴って大規模な地殻変動が起こり、現在の伊豆山漁港の沖が巨大なクレーター状に陥没した痕跡で、政子を匿った阿岐戸郷の位置は正確には判断できないが崖崩れと地滑りで海底に没した可能性も捨て切れない。鎌倉時代後期に公家の日記などを抜粋して成立した歴史書・百錬抄(著者は不明、全17巻)にも地殻変動の様子が載っている。これが吾妻鏡に全く記載されていないのが少し気に懸かるが...。
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  【百錬抄 宝治元年(1247) 1月12日】 此間風聞云伊豆國長十二町弘八町自十余町行去其跡如湖水云々
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         現代語...噂によれば、伊豆国で長さ1300m・巾1000m前後が失われ、その跡は湖水のようになった、と。


     

        左: 伊豆山漁港沖からの鳥瞰。国道135号(当時は通っていない)から海岸までの距離は120mで高低差は50mだから約40度の急斜面になる。
阿岐戸郷が海沿いの漁村ならば、舟で行くしかない場所なのは間違いない。
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        中: 国道の上り方向(背後が熱海市街)から撮影。阿岐戸郷の標柱と案内板は右手の民家と駐車場の境界部分に建っている。路駐は無理だが
短時間の撮影程度ならば横の駐車場に停めるのも可能。少し手前から車で途中まで下ることもできる(確か佐川急便の保養所あり)。
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        右: 昭和中期までは「秋戸」の小字が残っていたらしい。木の柱と石碑、案内板が政子所縁の地を思い起させるのみ。

この頁は2019年 7月22日に更新しました。