宇治平等院 鳳凰堂の宝物群 

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平安時代の中期、関白藤原道長が左大臣源重信室から譲り受けた別邸を、道長の子頼通が永承七年(1052)に仏寺に改め平等院とし、翌・天喜元年(1053)に鳳凰堂を完成させた。奥州藤原氏初代の清衡が平泉中尊寺の建立に着手したのが嘉承三年(1108)、基衡が毛越寺を完成させたのが仁平二年(1152)、そして三代秀衡が平等院を模して更に規模で上回る無量光院を建てたのが嘉応二年(1170)前後だろうか...栄華を誇った平泉の堂塔群は金色堂を除いて全てが灰燼に帰し、平等院もまた鳳凰堂だけが破壊を免れて現存している。京都攻防の要所だったのを考えれば、まさに奇跡的だ。
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永承七年は末法初年に当たるとされ、末法思想が貴族や僧侶らの心をとらえ極楽往生を願う浄土信仰が広く流行していた時代。頼道は浄土信仰に深く帰依し極楽往生の悦びを数々の障壁画に残した、と。堂内にはこの時代の最高の仏師・定朝によって造られた丈六の阿弥陀如来坐像が安置され、豊かな色彩が満ち溢れる極楽浄土を再現していたと伝わっている。

     

        左: 平等院鳳凰堂の中堂(国宝)。正面3間×側面2間、裳階の付いた入母屋造りで永承七年(1052)の建造と伝わる。
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        中&右: 本尊の阿弥陀如来像(国宝)。天喜元年(1053)、大仏師定朝の作。像・光背・座の全てが構成の仏師模範とされた。
像の高さは284cm、定朝は多くの作品を刻んだ記録が残っているが、この像が唯一の現存作品である。


     

        左: 堂の棟の両端を飾る南北一対の鳳凰(国宝)。高さは100cm、銅の鋳物で羽の一部は板金製。
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        中: 雲中供養菩薩像(国宝)。堂内の壁にかかる比丘や菩薩群像52体の一つで、中には定朝の作品も混じっているらしい。
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        右: 頼政は観音堂の北側に軍扇を敷いて自害した。その跡が扇の芝として今に伝わっている。

この頁は2019年 6月19日に更新しました。