祭神として義経を祀る、藤沢の白旗神社 

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JR藤沢駅からは約2km離れているが小田急の藤沢本町駅は直線で300mほど、もちろん周辺には路駐できるような場所はない。白旗神社の参拝用駐車場は入口が判りにくいので門前のトレアージュ白旗ショッピングセンター の駐車場を利用すると良い(2時間まで無料)。境内を全て歩いても10分あれば間に合うが、首洗い井戸〜荘厳寺〜常光寺を回遊すると1km強の距離になる。常光寺から更に遊行寺まで足を伸ばすと約3km、この場合はそれなりの準備が必要だ。
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400mほど南の真言宗荘厳寺(元暦元年(1184)創建)は伝 運慶 作の不動明王像を本尊とし、義経 の位牌を収蔵している。この寺は元々は妙善寺の近くにあり、建久九年(1198)には開山住職覚憲が白旗神社(当時は寒川神社を称した)の別当に任じた。享保四年(江戸時代中期の1719年)に荘厳寺の寺域に移転し、宝暦二年(1752)には寒川の名を白旗神社に改めた。明治初期の神仏分離令に伴って、明治八年(1875)に現在地に移転した。また、荘厳寺の東に隣接する常光寺(浄土宗・鎌倉光明寺の末寺)境内にあった白旗神社の末社は弁慶を祀っており、当時の名残りである石塔(弁慶塚と刻む)が残っている。
白旗神社の公式サイトはこちら、記載した社寺を含む周辺の地図は こちらで。
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  ※神仏分離令: 慶応四年(1868)発布した、正式には神仏判然令。西欧による多神教国家視を避けるため神社と寺院を分離するのが目的だった。
特に仏教排斥の意図はなかったのだが、寺との関係が不満だった檀家などが寺の支配下にあった神官や国学者に扇動されて過激な廃仏毀釈運動に発展した。堂塔の破壊や仏像の流出など、文化遺産が受けた被害は計り知れない。
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鎌倉の 鶴岡八幡宮(別窓)でも多宝塔や経堂など仏教関連の建物が破却され、多くの仏像が壊されたり持ち出されたりした。2008年にニューヨークのオークションで14億円で落札され話題になった運慶作の大日如来像(別窓、元は足利樺崎寺本尊)も、明治維新の混乱の中で持ち出されて転売を重ねたものと推定される。


     

        左: 今はドブ川と化した白旗川を渡って鳥居を潜る。巾6m×高さ8mの鳥居は石造りではなく最先端のグラスファイバー製、地震対策らしい。
        中: 敷地全体を含む鳥瞰図。社務所などのエリアは広いが社殿部分はごく狭い。すぐ北側には国道一号(東海道)バイパスが走っている。
        右: 一段高い位置に本殿と拝殿が一体になった流権現造りの社殿。天保六年(1835)の築造で昭和と平成に改修を加えられた。


     

        左: 社殿に登る石段の左側に平成十一年建立の義経鎮霊碑。義経の胴を葬った宮城県栗駒の土と白旗の土を合祀した記念、らしい。
白旗に義経主従の首が流れ着いた話ほど荒唐無稽ではない栗駒町の義経伝説はこちら(参考サイト)で。義経伝説を追い始めると収拾が付かなくなる。
沼倉高次が栗駒の判官森に義経の胴を葬った話と別に、高舘 で死んだのは義経の影武者だったとの話もある。影武者は福島市役所近くの
杉妻城を本拠にした藤原氏の家臣・杉目(杉妻)行信で、沼倉高次が自領の金成(現在の栗原市金成津久毛)に葬った、と。
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        中: 義経伝説の定番、社殿右手に据えてある弁慶の力石。首が流れ着いただけなのに石が関係あるのか? などと考えるのは不謹慎か(笑)。
        右: 社務所前の植え込みにも商魂逞しい名前が。樹高の低い方が弁慶松、中央に高く聳えている方には義経松の名が付いている。


     

        左: 加えて、松の向い側にある藤棚に茂っているのが義経藤で、20mほど先には弁慶藤もある。さすがに馬鹿馬鹿しくなって撮影は省いた。
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        中&右: 神社の南300mの交番裏にある鎌倉石の首洗い井戸と石碑。義経の首は金色の亀の甲羅に乗って流れ着いた、と伝わる。
ここから40mほど北(神社方向)には首を葬った塚が在ったらしいが、これは宅地化で既に失われている。

この頁は2019年 9月11日に更新しました。