山岳信仰の聖地から始まった箱根神社  

 
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万巻上人像 左:箱根神社収蔵の満願(万巻)上人坐像  画像をクリック→拡大表示
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天照大神の意思を受けて日向(宮崎)の高千穂峰に降った天孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と、日本全国の山を統括する大山祇神(おおやまづみのかみ)の娘・木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)が婚姻し、彦火火出見尊神(ひこほほでみのみこと)が誕生した。
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瓊瓊杵尊は 霧島神宮の祭神、木花咲耶姫命は 浅間神社の祭神、彦火火出見尊神は 鹿児島神宮(共にwiki)の祭神で、箱根神社はこの三柱を祭神(箱根大神)とする。太古から箱根駒ケ岳の主峰・神山(1438m)を御神体とする山岳信仰が行われていた。社伝に拠れば第五代考昭天皇(神話時代。在位:紀元前475〜393)の頃に聖占仙人が神山を神体として祀り、山岳信仰の霊場として定着した。
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天平宝宇元年(757)に至り、萬巻上人(万を越える経典を読破し習得して修験道を極めた箱根権現の祖)が神山に三年間籠って修行した末に神託を受け、上記した三神を併せて山麓にある現在の社地に里宮を創建したのが始まり。
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この時から本地垂迹説(神仏習合思想の理論)に基づいて神と仏を同体として祀るようになった。元宮は駒ケ岳の山頂に、神山はロープウェイの大涌谷駅と駒ケ岳頂上駅の中間にあり、積雪期以外なら比較的楽なハイキングができる。コースの紹介は こちら を参考に。
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   ※本地垂迹説: 真の姿(本地)は仏だが日本では神道の神(垂迹)に変身している、という神仏共存の根拠。神仏習合時代の箱根権現境内では別当寺の
金剛王院東福寺(真言宗)が信仰の中核だったが、明治の神仏分離令に伴い名称を箱根神社と改め、別当は還俗して神官となった。

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     箱根権現鳥瞰 右:芦ノ湖湖上から見た箱根神社と万巻上人の墓所    画像をクリック→拡大表示
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当時の芦ノ湖には九頭の龍が棲み住民を苦しめていた。湖面に壇を設けて祈った萬巻上人に調伏された龍は宝珠・錫杖・水瓶を捧げて従ったため、上人は龍神として手厚く祀ったという。現在は竜神様として九頭龍神社に祀られ崇敬を受けている。箱根神社本殿の右手にある九頭龍神社は平成十二年(2000年)に本宮から新宮として勧請した観光用で、本宮は湖尻から1200mほど箱根神社寄りの箱根園・九頭龍の森にある。
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本宮に参拝するには箱根園(ザ・プリンス)に駐車(無料)して遊歩道を20分ほど歩き、樹木園入口で入場料を払い境内へ(ペット入場可)。月次祭の13日のみ、元箱根桟橋を9時半に出航して湖尻に向かう遊覧船が九頭龍神社そばの神山コテージ桟橋に立ち寄る(往復1460円)。
社殿は桟橋から徒歩300m。例祭は6月13日、ルートの詳細は 芦ノ湖遊覧船のサイト で。
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萬巻上人の没年は不明、箱根から10kmほど南にある神領の桑原(小筥根)に弟子たちが建立した小筥根山新光寺(廃寺)に葬られた。本来の墓所は本殿の裏手400mほどの神道の霊廟(奥津城・おくつき)で、どちらかが分骨か慰霊のため創建された寺かも知れない。
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新光寺から遷された仏像を収蔵していた 桑原薬師堂のレポート、 更に 仏像に関する詳細レポート(共に別窓)を記載したが、薬師堂に伝わって長く信仰の対象になってきた仏像群は桑原地区から函南町に寄付され、すぐ近くに新設された かんなみ仏の里美術館で展示している。
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その他、箱根神社の公式サイト神域の案内図宝物殿の遺宝の情報(有鄰堂のサイト)などを参考に。


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        左: 神社まで900m、遊覧船乗り場前(コンビニ前)の一の鳥居。湖畔にある無料駐車場から土産物店を見ながら約1kmを歩いても良い。
        中: 一の鳥居から500m地点のニの鳥居。神社に向って右にも15台ほどの無料駐車場とトイレがあるが、休日は観光バスで混雑する事も。 .
        右: 三の鳥居前から車道を離れ、神域に入る(元々は箱根全体が神域だけど...)。ゆるやかな石段の横に国幣小社箱根神社の石柱が建つ。
戦前まで神社等級制度があり官幣大社〜別格官幣社まで七等級、国幣小社は下から二番目。待遇差があったらしいが、詳細は興味なし。


     

        左: 今上天皇の立太子礼と講和条約締結を記念して昭和27年に建てた湖上の鳥居。昭和39年に箱根権現鎮座1200年と東京五輪開催を
記念して架けられた扁額から「平和の鳥居」と呼ばれるようになった。夏になると鳥居の下が我が家の犬の水浴び場所になる。
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        中: 箱根神社か九頭龍か忘れたけど、鳥居の下から神官が一人で漕ぎ出す神事があったっけ。本来の伝承行事と観光行事が共存するのが
観光地の宿命で、どうせ参拝するなら面白そうなイベントの行われる日を選ぶのも一興ではある。
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        右: 湖畔から石段を登って四の鳥居へ。ここを箱根園に向う車道が横切り、次の石段の上で右手の三の鳥居から来た参道と合流する。


     

        左: いよいよ四の鳥居。右手の手水舎で禊を済ませ、一直線に本殿に向って石段を登り本格的な神域(もうとっくに神域なんだけど)に入る。
        中: 四の鳥居の右側には矢立杉が聳える。延暦二十年(801)に蝦夷討伐に向った坂上田村麻呂が矢を立て武運を祈った由縁による。
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        右: 杉の巨樹に囲まれた参道を拝殿へ。左手に無料の参拝者駐車場があるが、時間が許せばセブン・イレブン前の一の鳥居から歩きたい。
湖畔には無料駐車場が点在しているし、神社の本殿までの距離も1km未満だから軽い散歩と考えれば良い。


     

        左: 参道の途中には境内社の曽我神社も。十郎祐成と五郎時致を祀る。幼いの五郎が稚児として箱根権現に預けられた経緯による。
        中&右: 平場から神門付近を撮影。正月三が日は芋を洗うような混雑で、駐車場待ちは長いし空気は肌を刺す寒さ...日程には要注意。


     

        左: 社殿、いや拝殿と言うべきだろうか。古来から関東総鎮守箱根大権現と尊崇され、神の威光は交通安全・心願成就・開運厄除に及ぶ、と。
        中: 萬巻上人に調伏され帰依した龍神を祀る九頭龍神社の前から箱根神社の拝殿側を撮影。最近は「パワースポット」として人気が高い。
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        右: 九頭龍神社。昨今は自由に汲める左の「龍神水」に強い霊力を含まれている、という噂が広く信じられ、ペットボトル持参の観光客も多い。
この社殿は前述の通り平成十二年に5kmほど離れた九頭龍の森にある本宮から勧請した新宮で、謂わば観光用か。


     

        左: 石段を登りきった平場。左が参道と五の鳥居、突当りに神楽殿と社務所、右が神門。観光色が強く、全体に神社の静謐さには欠ける。
        中: 九頭龍神社右手の舗装された小道を400m登ると萬巻上人の霊廟(奥津城)に至る。この日は30cmほどの積雪で、これも風情あり。
        右: やがて鉄柵が囲む廟所が見えてくる。杉林が続く静謐な一角だが実際は裏手に湖尻に続く県道75号が通り、リゾートホテルが建つ。


     

        上: 奥津城(おくつき)は神道による墓所を意味し、城には柩を意味する時もあるという。中央には1mを越える堂々たる石塔、左右に並ぶ
十数基の宝篋印塔は箱根権現歴代別当の墓と伝わるが、なぜか全て頭頂部を欠いている。頭部を固定する穴があるから建造当初には存在した
筈で、これは何かの意味があるのだろうか、気になるので折があれば調べてみようと思う。この右手県道沿いに10台ほどの参拝用駐車場がある。
下に掲載した画像と差し替えも考えたが雪の奥津城も捨てがたい味があるので残しておいた。でも雪景色の撮影はむづかしい。


     

        左: というわけで、こちらも同じ奥津城の2011年5月。神社から間もない地点で小道は大きく左に曲がり本殿の裏山部分に登り詰める。
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        中: 鬱蒼とした杉林と藪が続く。左側にはヒメシャラが群生する自然林があり、神奈川県の天然記念物指定を受けている。少し手前を左に
入った小道の奥が密生地で、樹高18m前後のヒメシャラ(直径17cm〜28cm)が115本、空を覆っている。これは、かなり見応えあり。
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        右: 小道(北参道)の突当りが奥津城、右に折れると県道沿いの駐車場がある。季節を問わず、ここまで来る観光客はほとんど見られない。


     

        左: 同じく奥津城、こちらも2011年5月の撮影。北参道を通らずに直接宝物殿の裏手に下る山道もあるが、急傾斜で藪漕ぎが必要かも。
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        中: 杉林で日差しが遮られるためか苔むした石塔は風格があり、バランスの取れた姿をしている。萬巻上人は天平宝字年間(760年代)に
鹿島神宮寺を建立した後に箱根に向かった。途中の熱海で海中の噴火により漁民が苦しむのを見て薬師如来の加護により27日の断食祈祷を
経て熱源を山に移した。これが熱海温泉の起源とも伝わるが、鹿島から箱根に行くなら熱海は遠回りになるのに。
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        右: 右手の碑には「箱根権現歴代當当之奥津城」と刻んである。まさか萬巻上人の石塔を囲む宝篋印塔ではなくて石塚が墓? まさかね。
果たしてこの疑問は社務所で尋ねれば答が出るだろうか。

この頁は2019年 6月25日に更新しました。