頼朝が八重姫を「ひぐらし」待った場所 

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頼朝が八重姫を待っていた「ひぐらしの森」の面影は既に失われ、小さな神社が建っているだけである(地図)。
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この時の伊東祐親は3年間の大番役(京都守護の兵役)に従事しており、帰ってきた時には孫に当る千鶴丸は3歳(数え年)だったと言うから、祐親が留守になった途端に娘に手を出した計算になる。後に韮山に戻って北條政子と男女の関係になった時も、政子の父・時政は大番役...どうも頼朝さんには父親が留守の娘に手を出す傾向があるらしい。まぁ頼朝は満年齢で22歳前後、その頃の自分が何をしてたか考えたら他人をあ〜だ こ〜だ言えないけど、ね(笑)。
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政子との恋愛&結婚には頼朝の打算が見え隠れするが、八重姫との恋には若かった頃の一途な思いは感じられる。


     

        左: 音無神社の裏手から松川の対岸の「ひぐらしの森」方向を。右手の茶色い建物が市の会館と消防署、マンションの裏手が日暮神社。
        中: 狭い敷地に聳える数本の樹や石祠が辛うじて歴史を物語っている。周辺には最誓寺や東林寺など伊東一族所縁の地が点在している。
        右: 日暮神社は松川の流れから150mほど離れた住宅密集地に建っている。遊具を備えた狭い公園を併設しているが、無住である。


     

        上: 今では何処にでもあるごく普通の神社である。せめて日暮山龍明寺として頼朝の寄進状でも残っていれば素晴らしいのだけれど。
しかし神仏習合の時代から明治初期の神仏分離と廃仏毀釈を経て、どれほど多くの文化財が失われたことか...。

この頁は2019年 6月30日に更新しました。