富士山西麓、行者・角行が修行を重ねた富士講の霊地 

 
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最近は心霊スポットとして特に若者の人気を集めている。そりゃ人の気配がない薄暗い場所に石造物が林立していたら誰でも霊気は感じるに違いない。
そんな場所は日本全国津々浦々に幾らでもあるだろうに、なぜ心霊スポットだと騒ぐのか、オジサンは全く理解に苦しんでしまう(地図)。
細かい表示はMapFanじゃダメだね。行く前に想像した状態よりはるかに狭いから、正味30分もあれば隅から隅まで見物できる。
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江戸時代中期以後は富士山信仰(富士講)の聖地で、更に前は修験者の角行(江戸時代初期・1541〜1646年没)が修行し解脱した聖地と伝わっている。
文献に現れる最初は本文に書いた通り吾妻鏡の建仁三年(1203)だが、平安時代中期になると富士山を信仰の対象にする風習が定着し、併せて人穴も
富士浅間大菩薩(神仏習合思想による大日如来または千手観音の垂迹(化身)とされる)の霊地として信仰を集めていたらしい。
参道の手前に広い駐車場も整備されているから、朝霧高原周辺の観光地を周遊しながら少し変わった雰囲気の場所を見物、その程度の感覚で間に合う。
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        左&中: 駐車場のすぐ先から緩い傾斜の参道が社殿まで100mほど続く。左右に点在する石造物は墓石ではなく富士講の「碑」に過ぎない。
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        右: 社殿前の平場右手にあるのが「人穴」、立ち入りは原則として禁止されている。資料では巾3m×高さ1.5mの横穴が約90m、更には
分岐した細い支洞が奥に続いているらしい。富士登山を済ませた富士講の信者は人穴に参詣して宿泊する習慣だったと伝わっている。


     

        左: 頼家に探索を命じられた新田四郎忠常 は一昼夜かけて洞窟の奥を探り、郎従四人の死亡から辛うじて生還。八幡大菩薩の御在所だった、と。
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        中&右: 左手の平場に石塔が林立する。講の参加者が屋号などを刻んで納めたものがメインで、興味があれば寄進者を調べるのも面白いか。

この頁は2019年 9月23日に更新しました。