籠坂峠の古道に残る藤原光親斬首の地 

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    右:数年前、国道の入口が整備されて綺麗になった。   画像をクリック→拡大表示
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2018年、国道沿いの擁壁が強化され落石防止のフェンスも完成していた。コンクリートの階段まで新設されたのは参拝者にはありがたい配慮で、史跡の雰囲気が少し失われた程度は容認できる。
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駿河国加古坂(籠坂峠)で処刑を告げられた光親は同行した僧に髪を剃らせて西親を名乗り、経典を唱えながら首を落とされた。僧は自分の袈裟を脱いで遺骸を包み菩提を弔った、と伝わる。
吾妻鏡に拠れば、光朝の首は従者が京へ運び、立ち会った僧が遺髪を御殿場に葬っている。
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平成三年(1991)12月に地区の自治会が墓所の整備を行い、その際に遺髪を納めた筈の甕からは遺骨が発見された。遺体を埋葬したのは加古坂だと思うが、従者が運んだ筈の光親の首が京で葬られた記録は残っていない。御殿場久成寺の遺骨は僧が運んで葬った光親の首と考えるのが自然だろうか。
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小山町大御神区での尊称は天光院殿守法大御神尊、五輪塔は「おおみかみさん」と呼び伝えられている。
もちろん戒名ではないけれど、正二位まで昇った公卿は当時の感覚では神に近い存在だったのかも。

     

        左: 須走→籠坂峠に向って最高地点の手前1kmの国道左横に看板と石塔が建っている。駐車場はないが反対側の路肩に駐車すると良い。
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        中: 国道沿いの石灯籠は参道の入口表示だったらしい。実際の墓所(光親卿が斬られた(らしい)場所)は300m弱の斜面を登る必要がある。
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        右: かすかに注連縄が残る大岩の近くまでは手を使わずに登れるが最後の10mは立ち木を掴みながら体を支えなければ滑落の恐れあり。
地図上で確認すると国道との高低差は60mほどか、表面は赤い火山礫に覆われて歩きにくい。


     

        左: これが注連縄のある大岩。ここで斬られた光親を祀っているのだろう。須走では光親が死んだ場所を天神様として祀ったと伝わっている。
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        中&右: すぐ上の石には薄い石碑が建っているが磨耗して読み取れない。記録では明治20年(1887)に地元の有志が光親斬首の場所に
建てたことになっている。しかし、京から連行された公卿五人のうち他の四人は人家や寺に近い場所で斬られたのに、光親だけが
なぜ辺鄙な山中で処刑されたのか理解に苦しむ。しかも古道のルートからは少し外れているように思われるのだが...。


    

        左: 光親を葬ったと伝わる実成山久成寺(現在は日蓮宗)の本堂。光親の五輪塔は墓地北側で、山門側には案内表示がなく、注意が必要だ。
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        中: 山門の前に駐車して本堂左の墓地を通り抜け右奥まで進むか、本堂の前を右に迂回して小川沿いの細道を歩く(地図)。
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        右: 五輪塔は典型的な鎌倉中期様式に見える。ここに遺骨を葬ったのなら吾妻鏡の7月13日に載っている「宗行が浮嶋原で出会った下男」が
運んでいると語った光親の遺骨は何だったのか。こんな謎の一つ一つを考えるのが鎌倉時代を歩く面白味かも知れない。

この頁は2019年 10月24日に更新しました。