2008年、熊野本宮・速玉大社・那智大社を旅したスナップ  

 
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        左: 熊野川沿いの国道168号に面した熊野本宮大社の鳥居。行政上の本宮は田辺市、速玉は新宮市、那智大社は那智勝浦町に属する。
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        中: 参道前のスナップ。鳥居の向い側、消防署の横に広い無料駐車場がある。看板は初詣だが実際にはまだ12月29日、人出は少なかった。
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        右: 鳥居から300m弱、杉の巨木に囲まれた静謐な雰囲気の石段(158段)を進んで本殿手前の神門へ。ここまでは犬連れでもOK。
鳥居は神の世界と人の世界を分ける「結界」なので本来はペット禁止が普通なのだが、初詣直前で慌しかったため見逃してくれたのかも。


     

        左&右: 三棟に見える本殿は実際は四棟。左画像の第一・第二殿と右画像の第三・第四殿は造りも祭神も異なる。神社の理解はむずかしい。
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        右: これは左側、熊野牟須美大神と事解之男神を祀る第一殿と、速玉之男神を祀る第二殿。従って拝する場所も二ヶ所となる。それぞれが
本地仏として、千手観音と薬師如来を祀る。
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※本地仏: 簡単に書くと、「神は仏と別の存在ではなく、仏の化身」とする神仏習合(本地垂迹)思想。仏教の普及を危惧した神道が編み出した
生き残り戦術、らしい。仏教に擦り寄って朝廷に妥協を申し入れ天皇を喜ばせた最初の神(神官)が宇佐八幡宮だとの説がある。


     

        左: これは中央の第三殿。祭神は家都美御子大神、本地仏として阿弥陀如来を祀る。後で知ったのだが、神域は基本的に撮影禁止だった。
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        中: これは右側の第四殿。祭神は天照大神、本地仏として十一面観音を祀る。本宮が旧社地から現在地に遷したのは明治22年(1889)で、
熊野川に沿った旧社地の中四社と下四社は遷されず、上四社だけを移築したという経緯がある。
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        右: 朝廷や貴族の熊野詣を先導した修験者が紀伊路と中辺路沿いに「九十九王子(くじゅうくおうじ)」と呼ぶ祠を整備し参詣者の安全を祈願した。
飲食の提供や休憩所を兼ねたと考える説もある。画像は大社の裏手にある祓戸王子(はらいどおうじ)で、本宮(現在の旧社地)が近づいた
ため旅の汚れ・穢れを祓い清めるための場所だったらしい。樹齢300年を越える一位樫が聳えている。


     

        左: 祓戸王子には小さな石祠が置かれているが、古いものではない。この王子が造られた時代の本宮は800mほど南の熊野川沿いとなる。
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        中: 本宮から500m離れた旧社地、現本宮の西側を流れる音無川と南西を流れる岩田川が合流していた中州・大斎原(おおゆのはら)へ。
遠くから目を惹く巨大な鳥居は巾42m・高さ34m、平成12年に完成したコンクリート製である。
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参道中央の石畳は神の通り道で、参詣者は左右どちらかを歩くのが礼儀となる(参拝後に知った)。本宮が大斎原にあった頃の参道は更に右で、
音無川を草鞋履きで渡渉して身を清めた上で参拝し、翌日奉幣するのが順序だった。
往時の姿は失われたが、本宮に参拝したら大斎原には必ず立ち寄って本来の姿に想いを馳せたい。
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        右: 大斎原の鳥居前から本宮の森をのぞむ。水害当時の音無川は森の左山裾から手前の水田方向に流れ大斎原の東で熊野川に合流していた。


     

        左: 鳥居を過ぎて杉木立の中を大斎原へ。ここが明治22年(1889)の大洪水で流失した旧社地、熊野信仰発祥の地として保存されている。
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        中: 大斎原は犬の立入りも撮影も禁止。現在は昔日の中四社と下四社、八柱の神(忍穂耳命、瓊々杵尊、彦火火出見尊、鵜葺草葺不合命、
軻遇突智命、埴山姫命、弥都波能売命、稚産霊命)と本地仏九体(地蔵菩薩、龍樹菩薩、如意輪観音、聖観音、文殊菩薩と普賢菩薩、毘沙門天、
不動明王、釈迦如来)を二つの石祠に合祀している。太古に神が降臨した静謐な地で、現在の本宮参拝よりも身が引き締まる。
周辺配置図は イラストマップ(観光協会サイト)が判りやすい。
     後鳥羽上皇の歌  はるはると さかしき峯を 分け過ぎて 音なし川を けふ見つるかな
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        左: 本宮大社周辺の鳥瞰。昔の大斎原は面積1万1千坪の神域に五棟十二社の社殿が並び、現在の本宮大社の8倍も広かったと伝わる。


     

        左: 本宮から約3km上流にある道の駅 奥熊野古道ほんぐう(別窓)へ。車道も通じているが今回は徒歩で山道を30分登り有名な「伏拝王子」へ。
中辺路を辿った熊野古道は熊野川が見える稜線に辿りつき、残り3km・1時間で本宮直前の祓戸王子に至る。
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        中: 熊野参詣の旅人はここで初めて本宮を遠望し伏し拝んだのが名前の由来と伝わる。中央の白い部分が大斎原、現在の本宮は見えない。
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        右: 伏拝王子から北を撮影。国道168号が十津川温泉を経て奈良県五條市へと延びる「小辺路」の方向である。


     

        左: 新宮速玉大社(公式サイト)は市街地にあり、交通の便は良いし山道を登る必要もないけれど熊野独特の静謐さに欠けるのが残念。
駐車場のすぐ横には新宮市出身の佐藤春夫記念館(公式サイト)がある。入館料310円は高すぎると思うが、ファンならご随意に。
少し離れているけれど田辺市の番所岬には和歌山の偉人を顕彰する 南方熊楠記念館(公式サイト)もある。
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        中: 境内右手の参拝者用駐車場から100mにも満たない距離に本殿がある。拝観する場所も少ないから短時間で済むけれど、やや味気ない。
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        右: 入江・元侍従長の書による平安時代の天皇と皇族たちの御幸記録碑。もっとも多いのは 後白河法皇 の33回、後鳥羽天皇 の29回が続く。
女性では侍賢門院(74代鳥羽天皇の中宮で崇徳天皇と後白河天皇の生母・藤原璋子)が9回と、頑張っている。


     

        左: 駐車場から神門に向う途中にある神宝館横の弁慶像。熊野の伝承では速玉大社に仕えた鈴木一族の出身。平泉ではなく、行家と共に
熊野で追討された事になっているらしい。弁慶が生まれた場所の石碑とか鉄甲塚(何だか判らん)なども点在する。
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そもそも源義朝の末子・行家の旧名は 新宮十郎義盛 で、これは彼の姉(鳥居禅尼)が後に熊野三山別当に就任する行範に嫁した経緯があり、
行家は平治の乱(1159年)に敗れた後に熊野に逃げ込んで別当の庇護を受け頼朝挙兵まで約20年間を熊野で過ごしている。
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史料は 行家(義盛)は元暦元年(1185年・8月に改元して文治元年)2月に和泉国近木郷(大阪府貝塚市畠中)で捕縛され 北條時定時政
甥または従兄弟)により斬首、弁慶 は吾妻鏡の文治元年(1185)11月3日に載っているだけで、五条大橋での牛若丸との立ち回りや安宅関
での勧進帳や平泉の奮戦などは全て軍記物の創作と考えられている。平家物語でのみ、「熊野別当 湛増の子」と記述している。
行家の姉 鳥居禅尼 が産んだ娘が湛増の母らしいから、弁慶から見ると祖母の弟が行家になる。
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        中: 市街地の西側、千穂ヶ峰東南端が神倉神社。速玉大社からのんびり歩いても15分ほど、参道の手前200mに数台の駐車場あり。
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        右: 速玉大社から1kmほど南の神倉山(120m)の絶壁に鎮座する神倉神社と御神体のゴトビキ岩。速玉大社の元宮または摂社とされる。
市街地から急勾配の石積み538段を登らなければならないので、今回は公式サイトの画像を転用させて頂いた。


     

        左: 速玉大社から大門坂入口まで約18km、県道46号は那智大社のすぐ下まで続いているから、車なら3kmほどで参拝用の有料駐車場に着く。
大門坂を登る場合は入口前の河川公園Pに車を停めるのが便利だが、今回は台風の被害で利用不可だった。もしも閉鎖の場合だったら300m
手前の休憩所を兼ねた大門坂P(無料)を利用しよう。大社の石段下まで距離にして1km強、30分ほどの緩やかな登りである。
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        中: 大門坂は石畳と石段が混在する古道で、歩きやすく整備されている。終点に近くなると徐々に傾斜が厳しくなるが、山道よりは歩きやすい。
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        右: 大門坂の途中にある「多富貴王子」は本宮〜新宮〜那智を巡る順路の最後、熊野九十九王子の最終ポイントとなる。


     

        左: 入口から200m弱に樹齢800年と伝わる夫婦杉が聳える。手前の 大門坂茶屋(公式サイト)で平安時代の衣装を貸してくれる(有料)。
お金と勇気がある人は小野小町風の姿で那智大社まで歩いてみよう。
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        中&右: 大門坂のスナップ。コメントが前後するが入口から100m程で 南方熊楠(wiki)が植生調査に滞在した大坂屋旅館の跡、その先の鳥居を
過ぎると神域と俗世界を隔てる結界の振ヶ瀬橋、大門坂茶屋、多富気王子(たふけおうじ)、その先に唐斗石や十一文関跡(昔は通行料
十一文を徴収。那智の滝が遠望できる)と続く。昔は石段の終点近くに金剛力士像の立つ大門があり、大門坂と呼ぶ元になったらしい。


     

        左: 那智大社の拝殿。この奥に右側から滝宮・証誠殿・中御前・西御前・若宮・八社殿が建つ。元の本殿は御神体の滝近くにあったと伝わる。
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        中: 大社に隣接する西国33観音札所の第一番、那智山青岸渡寺(公式サイト)。典型的な神仏習合の世界だが...幾らなんでも寺伝が主張する
「4世紀(301〜400年)に天竺の僧が開いたのが最初」は無理スジだろう。仏教の公式伝来は西暦540年前後、その100年前に私的な信仰で
伝わったと仮定しても50年以上のギャップがあり、それが真実なら仏教伝来の歴史を塗り替えるほどの大事件になる。
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        右: 那智大社本殿前の片隅から。この辺は近隣随一の観光スポットで、新年には凄い雑踏になる事だろう。背後に三重塔と那智の滝が望む。


     

        左: 那智の滝への坂道で。煌びやかで品格のない三重塔は昭和47年(1972)建造のコンクリート製でエレベーター付き、展望台を兼ねる。
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        左: 三重塔の横を通って那智の滝つぼ近くまで下る。巾の広い石段は昔のままの姿なんだろうな。左側の隅には我が家の犬が待機中。
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        右2枚: 那智の滝遠望。落差は133m、一段で落ちる滝としては落差日本一らしい。自然の景観と同時に那智大社の御神体である。

この頁は2019年 10月 12日に更新しました。