函南の薬師堂と新光廃寺跡 

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北條宗時狩野茂光を弔った宗時神社(別窓)から2kmほど北の桑原薬師堂は 源頼朝文覚上人 が旗挙げの相談をした伝承の残る長源寺の境内にあり、所有と管理は長源寺ではなく桑原地区が受け持ってきた。平成20年に函南町に寄付され、町の文化財として新築の資料館で管理されている。

函南 右:函南の桑原薬師堂と小筥根山新光廃寺 鳥瞰     画像をクリック→拡大表示へ
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この地域は平安時代に筥根権現(箱根、函根)の神領となり、天平宝字元年(757)に筥根権現を開いた 萬巻上人(wiki)の菩提寺・小筥根山新光寺(廃寺)があった。上人の遷化後に弟子たちが上人の愛した桑原の地(小筥根と呼ばれていた)に七堂伽藍の大寺を建てたものである。廃寺となった時期は明らかではないが、薬師堂の入口から来光川沿いに300mほど離れた水田の中に礎石が残されている。その付近には新光寺に使われていたと思われる巨石が無造作に集められているのも目を惹かされた(廃寺跡の地図)。
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薬師堂本尊の薬師如来坐像は、元々は新光寺の本尊だった。穏やかな表情を浮かべた、名のある都の仏師の作と推定される。60年ごとに開帳される秘仏だったが、2005年頃から土日のみ拝観できるようになり、さらに収蔵・管理する資料館を建設中である(2012年に完成の予定)。保存環境は良くなったが秘仏として数百年護持されてきた本尊が薬師堂を離れて公開されることには一抹の感慨を感じる。
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本尊の他に平安中期〜江戸期の仏像が20体ほどあり、両側に脇侍を持つ阿弥陀如来像の内部には 實慶 の銘が残る。実慶は承元四年(1210)に修禅寺本尊の大日如来坐像を彫った大仏師で、運慶 を頂点とする「慶派」の一人である。仏像群の詳細はこちらで。
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【大仏師と小仏師について】
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権威と実績の有無による区分だが、「造像プロジェクト」のチームリーダー&それを支えるスタッフの意味合いもあるらしい。有力な仏師は朝廷から僧職の地位(上から、法印・法眼・法橋)を与えられ、平安時代中期以降は所属していた寺(東大寺や興福寺など)を離れて朝廷や権力者など各地の需要に応じた活動を始めた。仏師として始めて法橋となった 成朝 を筆頭として、慶派の 康慶運慶(共にwiki)などがその代表である。定朝の代表作は平等院鳳鳳堂の阿弥陀如来坐像、武田氏菩提寺の韮崎願成寺本尊の阿弥陀三尊像も定朝の様式と推定されている。
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   ※桑原薬師堂の仏像:桑原地区から函南町に寄付され、平成24年初夏に かんなみ仏の里美術館が完成した。入館料は300円(地図)。


     

        左: 長源寺は来光川に沿った山裾の小さな寺。頼朝と文覚が挙兵の密談をした伝承も残っているが、この話は良くある「後付け」らしい。
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        中: 長源寺が山裾に近いやや平坦な敷地にあり薬師堂がその上の急な斜面に建っている事から考えると、新光寺が廃寺となった後に薬師如来
などの仏像群を長源寺に遷し、その後に薬師堂を建てて祀ったと考えるのが自然か。
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        右:すぐ右手の斜面に薬師堂が見える。更に左側の山には石仏が散在しており、最近は霊場として参詣する人もいる、とか。


     

        左: 本堂右手、薬師堂へ登る細道が延びる。寺域ではあるが長源寺の管理ではなく、長い間桑原地区が管理する財産として継承されてきた。
        中: 堂には往時の面影はなく、恐らくは大正〜昭和初期の再建と思われる。通常は無住の堂宇だが管理は良く行き届いている。
        右: 資料館完成までの公開は土日のみで無料、地区住民が持ち回りで応対している。堂内撮影は禁止、今回は特例として見逃してもらった。


     

        左: 国の重要文化財・実慶作の三像。蓮華座の阿弥陀如来は右に慈悲の象徴・観音菩薩、左に智慧の象徴・勢至菩薩を従える。
        中: こちらは県の有形文化財・本尊の薬師如来坐像(藤原時代の作・110cm)。個人的にはこの像の穏やかな姿に惹かれる。
        右: 薬師如来の部分拡大。本来はこの厨子の中で60年に一度だけ公開される秘仏である。推定1200年前の割に状態は良い。


     

        左: 新光寺跡の中心と伝わっているのは水田の中にポツンと残る一個の礎石部分。ここは20体以上の仏像を持つ大寺だった。
        中: 芦ノ湖北岸の箱根権現までは直線で7〜8km、山岳信仰の聖地に相応しい深い森が箱根旧街道まで約3kmほど続いている。
        右: 新光寺跡近くの道端には大きな石が積み重なっている。農作業の邪魔になる新光寺の礎石などを集めたものか、それとも只の石か(笑)。

この頁は2019年 7月 21日に更新しました。