鎌倉十二所 明王院と梶原井戸 

左フレームの表示&「鎌倉時代を歩く 参」 の記載ヶ所へ        「索引」 へ   「旅と犬と史跡巡りと」のトップページへ

.
右:鎌倉十二所 明王院と伝・梶原邸の跡 地図    画像をクリック→拡大表示
.
梶原景時 の鎌倉別邸は 鶴岡八幡宮(公式サイト)から六浦道(金沢街道)で約2km東の十二所(じゅうにそ)、現在は鎌倉五大堂の一つで真言宗の 飯盛山寛喜寺明王院(公式サイト)の西側一帯にあった。東側の胡桃山山裾の滑川対岸には 大江廣元 の屋敷があり、滑川を渡った南岸には鎌倉青年会による大江廣元邸址の石碑が建っている。廣元の墓所(二ヶ所)に関する詳細は こちら(別窓)で確認されたし。
.
もちろん梶原邸も大江邸の両方とも発掘調査などによる跡地は確認されていないから推定する他はないが、胡桃山の頂上近くに廣元の墓と伝わる石塔があり、更に吾妻鏡の建仁三年(1203)9月2日の条には 「廣元邸で 比企能員 の処遇を相談した 北條時政 が騎馬で 莅柄社(現在の荏原天神社・公式サイト)の前を過ぎ名越邸に向かった」云々の記述があるから、ほぼ間違いない。
.
景時邸の方は寿永二年(1183)12月に 上総廣常 を暗殺した際に太刀を洗った池や廣常邸があったと推定される十二所の北部が近いのも、景時邸が近くにあった傍証になる。
.
元々の景時は鎌倉の西部、大船と江ノ島を結ぶ湘南モノレールの湘南深沢駅一帯の梶原郷(旧深沢村)を本領とした。建久元年(1190)には 御霊神社(別窓)を建てて祖先の 権五郎景政 を祀っている。御霊神社の拝殿から50mほど西の深沢小学校敷地には景時親子の供養墓と伝わる五輪塔が残っている。
ちなみに、鎌倉長谷の 御霊神社(別窓)は鎌倉権五郎の館跡と伝わっている。


     

        左: 明王院は駐車場なし、車の場合は 報国寺(公式サイト)の駐車場(無料だが数台のみ)に停めて浄明寺→ 梶原井戸→ 明王院→ 廣元邸跡→
報国寺の順路で歩くと約3km、拝観を含めても2時間あれば間に合う。八幡宮周辺と違って酷い混雑もなく、シーズンオフの平日に簡単な見学と
撮影を<済ませるなら同乗者ありの短時間路駐でもOKだし、その場合は報国寺と 浄明寺(wiki)だけ駐車場を利用するという手もある。
.
        中: 金沢街道から参道に入って100m弱で五大堂明王院の石塔が立つ岐れ道。直進するとすぐに山門、左折して300m歩くと梶原井戸の谷戸に
至る。廣元の墓へは山門の手前を右折してすぐ左折し、カーブの先から左に折れる山道を400mほど登らねばならない。
.
        右: 幕府政庁(当時は宇都宮辻子・地図)の鬼門(北東)を護るため、四代将軍 藤原頼経 が嘉承元年(1235)に創建した。
開山和尚は八幡宮別当の阿闍梨 定豪、祈祷所として五大明王(不動・降三世・軍荼利・大威徳・金剛夜叉)を祀っていたが江戸時代に焼失し、
現在は後世に彫った像を本尊としている。ちなみに、山門内側の撮影は禁止している。
.
※幕府政庁: 治承四年(1180)から嘉禄元年(1225)は 大倉、嘉禄元年(1225)から嘉禎二年(1236)は 宇都宮辻子(共に別窓)、
嘉禎二年(1236)から幕府が滅亡した元弘三年(1333)は若宮大路に面した八幡宮の南側(地図)に置かれていた。


     

        左: 上掲の地図と同じ角度の地形図。伝・廣元の墓がある胡桃山から南へ下る斜面で、北側は豊かな自然の中に天園ハイキングコースが続いている。
鎌倉市街地北側の尾根道を辿り円覚寺近くに下る、通称「鎌倉アルプス」。
.
        中: 金沢街道から滑川の橋に向う手前から梶原井戸のある谷戸の方向を撮影。左手にテニスクラブ、右側に明王院庫裏の崖が見える。
.
        右: 明王院手前の岐れ道からテニスクラブを過ぎると道は更に細くなり右側に異様な風体の Salon de 酔鯨館(wiki)が現れる。
レザーアートの巨匠 石丸雅通(wiki)の自宅兼アトリエで有料公開もしているが、予備知識がなければ誰か人が居ても出来るだけ目を合わせず
通り過ぎたいようなイメージがある。私、ゲージュツを理解できない人、なのかも。


     

        左: 道は徐々に細くなって谷戸の奥に続き、建設会社の資材置き場で行き止まりとなる。その手前左側の崖下にあるのが伝説の梶原井戸。
.
        中&右: 1m四方ほどの石組みが梶原井戸と伝わっているが、鎌倉時代の遺構かどうかは確認できない。周辺には石祠や五輪塔の残欠が
点在し、道沿いの崖や明王院右手の崖にも「やぐら」がある。北西の番場ヶ谷の奥には 北條高時 の首を葬ったと伝わる「やぐら」もあるが、
これは発掘調査では鎌倉時代初期の遺構らしい。
それは兎も角として、実際の梶原邸はテニスクラブから明王院にかけての一帯で、明王院の創建は嘉禎元年(1235)、梶原景時一族が
謀反の嫌疑で追討を受けて30年以上が過ぎた頃に、屋敷の付近に四代将軍 藤原頼経が開いたもの。実朝が建立した巨刹・大慈寺の西側だ。

この頁は2019年 9月20日に更新しました。