修禅寺奥の院 伝・弘法大師修行の跡 

 
左フレームの表示&「鎌倉時代を歩く 参」 の記載ヶ所へ       「索引」 へ   「旅と犬と史跡巡りと」のトップページへ

.
右:伝・空海修行の跡、修禅寺奥の院 正覚院 鳥瞰   画像をクリック→拡大表示
.
修禅寺奥の院(正覚院)は真言宗の開祖で古刹修禅寺を拓いたと伝わる 空海 (弘法大師)が延暦十年(791)18才の頃に修業した場所、とされる。
.
ただし、史料に拠れば空海(当時の名は佐伯真魚か)は延暦八年(789)から延暦十一年まで阿刀大足の弟子として京で学び、この年に官僚候補生を育成する大学寮に入っている。更に大学寮での勉学に限界を感じて吉野金峯山や四国の石鎚山など修験道の聖地で修行し、24歳の時に最初の論文「聾瞽指帰」を著している。
.
従って18歳の時に伊豆で修行云々は根拠が希薄であり、真言宗あるいは空海が伊豆と何らかの接点を持った可能性は否めないにしても、全国各地に残る弘法大師伝説の一部に過ぎない可能性の方が遥かに高い。
.
また修禅寺から5kmほど北の高野山真言宗 益山寺(御朱印たびのサイト)には「延暦二十五年(806)に空海が創建し本尊の千手千眼観音菩薩を刻んだ」との寺伝があるが、これも史料とは異なる。空海はこの年(5月に改元して大同元年)10月に唐から帰国し、大同四年(809)まで入京の許可を得られず九州大宰府に留まっている。これらを意図的な捏造と考えるべきか、はたまた宗教心に従って弘法大師空海の徳だと考えるべきか(笑)。
.
毎年12月の冬至(22日前後)には奥の院で一年の厄を払い新年の幸せを祈る「星まつり」が行われ、僧侶が焚く護摩の煙に当ると家内安全の願いが叶うとされている。「星まつり」は本来は真言密教に伝わる行事で、奥の院(正覚院)は500年前に修禅寺とともに曹洞宗に改宗されているが、弘法大師の偉業を伝える儀式として宗派を越え、今に受け継がれている。ちなみに前述した益山寺には伊豆でも屈指の巨樹(樹齢860年の楓と400年の銀杏)もある。こちらでは修善寺奥の院より少し遅れて1月の第3土・日曜に「星祭」を行う。
.
   奥の院の地図、  益山寺の地図、  真言密教の概略、 修善寺エリアの観光案内 (各、外部サイト)も参考に。


     

        左: 修禅寺から里山に沿って奥の院に向う早春の道。「いろは四十八文字」にちなむ石碑を辿って奥の院まで歩く日帰りツァーの企画もある。
.
        中: 06年3月末、道筋には早咲きの桜が見られる。のんびり歩いて1時間半程度、桜の季節と紅葉の季節には楽しめるコースだ。
ただし途中には小売店はもちろん自販機すら(06年当時は)皆無だから多少の身支度は必要。
.
        右: 奥の院の境内は良く手入れされており、休日には横の駐車場に地場産品や軽食の屋台も開く。時には観光バスで訪れる団体の姿も。


     

        左: 観光協会などで主催するツァーの中には境内左手の庫裏で精進料理を賞味できるコースもある。古代米(黒米)も中高年には人気らしい。
.
        中: 石段の上には弘法大師修行の跡「馳籠の窟」(かりごめのいわや)という岩洞があり、その岩壁には「阿吽の滝」が流れ落ちている。
.
        右: 弘法大師は住民を煩わしていた周辺に棲む魔物をこの岩谷に封じ込め、更に厳しい修行に励んだと伝わっている。


     

        左: 長い修行を終えた弘法大師が空に向かって経文を書くと金色に輝く経典が空中に現れ、それ以後仏法は急速に日本国中に広まった、と。
.
        中: 毎年4月中旬の春の弘法忌には大師像を修禅寺から御興で運び1日安置する「お上り・お下り」が行われる。詳細は 観光協会サイト で。
.
        右: 奥の院境内の隣には心字池を配し落ち着いた庭園が造られている。春には梅、桜、レンギョウなど季節の花が楽しめる。


     

        左: 奥の院境内の隣には心字池を配し落ち着いた庭園が造られている。春には梅、桜、レンギョウなど季節の花が楽しめる。
.
        中&右: 奥の院からさらに2q(車も可)、巾が数mに狭まった湯舟川(桂川上流)沿いの広場に駐車してから山道を1kmほど登った中腹に
「桂の大師」と呼ばれる桂の巨樹が聳える。説明板には弘法大師が修行で訪れた時の杖が根づいた、樹齢1000年と書かれている。
.
説明通りに受け取ると、1200年前に生きた弘法大師の杖が200年後に芽を出した計算になる。まぁどうでも良いことだけどね。
汗を流して登り実物を見た感想は...正直に書くと、想像していたほどの樹ではなかった。

この頁は2019年 9月27日に更新しました。