相模最大の荘園 大庭御厨の中枢だった大庭城址 

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大庭城の最初は 大庭景義景親俣野景久 の父景宗の時代らしい。厳密には景義の下に同母の豊田景俊がいるので、景義・景親・景久・景俊の四兄弟。
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東側を流れる引地川と西側の小糸川が天然の濠を構成する台地に築城され、最盛期には東西250m×南北800mの台地全体が要塞化されていたらしい。現在は北側が開発されて住宅地となり、南側の約400mが城址公園として整備されている。
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古くは大庭の舘と呼ばれ一族の重要な軍事拠点だったが当時の遺構は皆無で、空堀や土塁の跡はいずれも応仁元年(1467)に勃発した応仁の乱以後に造られたと推測される。この地の領有権は扇谷上杉氏→後北条氏と変わり、後北条氏が秀吉に滅ぼされた天正十八年(1590)に廃城となった。


     

        左: 県道43号の上(東)を流れる引地川の周辺にも親水公園と駐車場が整備された。更に東側の台地には延喜式(927)にも載っている
古社大庭神社(wiki)もあり、ハイキングコースとしてのんびり歩くのも面白い。公園西側の駐車場は広くはないが休日以外や桜のシーズン以外
なら余裕あり。混雑時期なら親水公園の駐車場、最悪の場合は西側のイオン駐車場に停めて坂道を600m下る裏技も使える。
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        中:エリア全体の航空画像。南側(ガスト側)からも城址に登る小道があるらしいが、入口が民家の奥にあるためもう一つはっきりしない。
        右:引地川を越えた親水公園から約500m離れた城址の全景を撮影。この公園にも広い芝生があって実に快適、この近所の住民が羨ましい。


     

        左: 城址公園の正面(西側)の入口。道路沿いに公称38台の駐車場、大手っぽい石畳のスロープ中腹に管理事務所を兼ねた休憩所がある。
        中: 近隣では有名な桜の名所で、花の時期にはかなり混雑する。駐車場は夜間閉鎖だが公園は(親水公園も含め)24時間開放されている。
        右: 空堀の跡が数ヶ所に保存してあるが、防御施設としての城址のイメージは残っていない。一部にある館跡の痕跡も期待する程ではない。

この頁は2019年 7月17日に更新しました。