熱海 伊豆山神社(走湯大権現)の風景 

伊豆山権現の男神立像 火の神か、高麗から渡来した神か。

画像をクリック→次の画像  「伊豆山神社の風景」へ     「索引」 へ   「旅と犬と史跡巡りと」のトップ頁へ

.

        左:国の重要文化財・木造男神立像 平安時代中期(11世紀前半)の作、伊豆山神社蔵
桂材から彫り出した高さ212cmの像で、同じ桂材の顔部分を貼り付けている。冠をかぶり杖(欠損)を持つ。現存する最大の神像であり、神の依り代(よりしろ・神霊が憑依する対象物)として神殿の奥に置かれていた像。
 
        中&右:大磯の高来(高麗)神社収蔵の男神と女神  一部欠損しているが完全な状態なら140cm前後。
 
    箱根権現に伝わる「箱根権現縁起絵巻」に拠れば、高来神社と伊豆山権現と箱根権現の三社は密接な関係を持つ。詳細は下記。
 
天竺にある斯羅奈国の大臣源中将には二人の娘(異母姉妹)・常在御前と霊鷲御前がいた。霊鷲御前の母は異腹の常在御前を憎んで殺そうとしていたが、妹の霊鷲御前が庇っていた。父の中将が留守で危険が迫った時に姉妹は波羅奈国の王子である太郎と二郎に救われ、それぞれ妃に迎えられた。戻ってきた中将は二組の娘夫婦と共に日本に渡ろうと決意して船出し、相模国大磯に上陸した。五人は高麗寺を経て霊験あらたかな箱根山に移った。父の中将と霊鷲・二郎夫婦は箱根に留まって神となり、常在・太郎夫婦は伊豆山に移って神となった。
 
  ※箱根権現縁起絵巻: 僧・覚明の作と推定されている。覚明は南都興福寺から園城寺(三井寺)へ送った書状で「清盛は平家の糟糠、武家の塵芥」と罵り、
後に義仲の参謀兼祐筆となった。義仲滅亡後は鎌倉を経て箱根権現に入った。この頃に曽我物語を執筆したと考える説もある。
 
黒潮に乗って伊豆〜相模に上陸した神の伝説は多い。伊豆白浜には夫婦の神が上陸し男神は三嶋大社・女神は白浜神社に留まった、とか、伊東宇佐美に上陸した加理波夜須多祁比波預命は宇佐美を開拓し比波預天神社に祀られたとか、三宅島に伝わる「三宅記」には事代主命が伊豆諸島を造って名前をつけた、とか。神話や伝承を追いかけ始めるとキリがない、適当に切り上げないとパンクするけど、ね。