頼朝と八重姫のデートコース、音無神社 

 
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音無神社では毎年11月10日に「尻つみ祭り」(18時半〜21時)が催される。全国各地にある暗闇祭りの一種で、灯火を全て消し暗闇の中で神事が行われる。隣の人にお神酒の盃を渡すときには暗くて見えないので尻をつまんで合図する、それが「尻つみ」の語源とされている。
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祭神は豊玉姫命(神武天皇の祖母)で、この近くで急に産気づき産殿に入った時に「吾が生まむとするを見る事なかれ」と言ったと伝わる、実に紀元前750年頃の神話である。豊玉姫命の従者たちは灯を消し息を殺して音を立てず出産を待ち、体を触れ合って意思を通わせたとか。出産が無事に済んだことから安産を祈る信仰が生まれ、出産後に御礼として「底の抜けた柄杓」を納める習慣が定着した。
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  ※豊玉姫命:音無神社だけではなく、記紀には出産と呪術あるいは異民族との交流に関する記述が見られる。概略はwikiで。
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八重姫 とのデートの時に 頼朝 が「川の音がうるさいなあ」と言ったため暫く音が止んだ、だから音無神社だとの伝承もある。いずれにしても永暦元年(1160)3月に13歳で伊豆に流された頼朝が仁安二年(1167)に20歳で伊豆東海岸に移り、伊東祐親の庇護下(監督下)にありながら娘の八重姫に手を出して23歳の承安元年(1170)に子を産ませた、曽我物語が伝えている若い二人が愛を語った場所なのは間違いないらしい(全て満年齢に換算)。
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江戸時代に発行された「伊東誌」は「尻つみ祭り」を次のように紹介している。
村内はすべて音曲を停止する静かな祭りであり、当夜は近郷近在の未婚の若者が灯を持たないで大勢参詣する。境内の木陰で交わる男女も多数見られるが、昔からの習慣なので当然と思われている。ただし中級の格式以上の家の娘は親が許さず、参詣するのは身分の低い家の娘だけ、誠に珍しい祭りである。
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地図はこちら、車は停められないし周辺に駐車場もないが、短時間なら松川の対岸300mほどの100円ショップレモンの駐車場(地図)が利用できる。買物をして一声掛けてから利用しよう。近隣のスポットを全て廻るなら南伊東のマックスバリュのPに余裕がある。


     

        左: 200mほど下流の橋から音無神社の社叢を見る。奥の茶色い建物が伊東図書館、その先が音無神社、更に奥に最誓寺が建っている。
        中: 神社側はコンクリート護岸、対岸の河川敷は良く整備され春には水辺で野草を摘む人もいるが、ここから下流の市街地は水質がかなり悪い。
        右: 少し上流の対岸から。松川は大室山麓の源流から約15kmで伊東漁港近くに流れ込む清流だ。 遊歩道の風景(別窓)も参考に。


     

        左: こちらは150mほど上流の岡橋からの風景。正面右が音無神社、左が昔日の日暮の森、手前の岸には詩人・室生犀星の歌碑がある。
        中: かつては音無の森と呼ばれ、今も市の天然記念物指定のタブや椎(シイ)の巨木が繁る。頼朝と八重姫と千鶴丸を祀る摂社も建っている。
        右: 音無神社を真横から。拝殿には安産の御礼として豊玉姫命に奉納された底の抜けた無数の柄杓(ひしゃく)が外壁に差し込まれている。


     

        左: 正面の鳥居から社殿を見る。撮影場所のすぐ背中が最誓寺、失った我が子・千鶴丸の菩提を弔って八重姫が建立した旧・西成寺である。
        中: 11月10日には社殿の前で芸者と観光客の尻相撲など、神事にそぐわない低俗なイベントが行われている。今でも同じだろうか。
        右: 明治末期(約100年前)の写真。当時の鳥居は造り直しているようだ。地震も頻発するし、昔は洪水も多かった地域だから無理もない、か。

この頁は2019年 6月27日に更新しました。