日蓮法難の地 俎岩山(そがんさん)蓮着寺 

 
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日蓮を置き去りにしたのは蓮着寺から500mほど南の島崎(現在の日蓮崎)の俎岩。満潮には殆ど水没するほどの離れ磯だから溺死する危険もあったが漁師の弥三郎に救出されて危機を脱した、と伝わる。地図はこちら、蓮着寺には参詣用の無料駐車場があり、俎岩のすぐ上を通る自然探求路が整備されている。ただし「俎岩置き去り伝説」は疑問点が多く、おそらくは後世の信者が日蓮の偉大さを強調するために創作した説話だろう。
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【日蓮流罪に関連して、後世の捏造とする野次馬っぽい異論の数々、説得力があって面白い。】
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@ 満潮には沈んでしまう俎岩に木造の舟を付けて人を降ろすのは危険で、和船では構造的に不可能。
A 後に日蓮自身が「その津につきて」と語ったと「船守弥三郎許御書」に書かれている。津は港・船着場を意味する。
B 日蓮伝記の原型である「元祖化導記」や「註画讃」には「俎岩に置き去り」の記載がない。日蓮の刑罰は「流罪」で、死刑ではない。
C 日蓮の持つ強い感化力を考えれば、伊豆川奈まで共に乗っていた船頭らを折伏して港に入ったと考えるのが自然。
D 海中から光る仏像を得た伝承は約700m東の弘誓寺にもある。各地の縁起に多く見られる例で、信憑性が乏しい。
E そもそも「船守弥三郎許御書」の初見は文禄五年(1595)の本満寺御書で、日蓮没後314年である。

右:日蓮法難伝説(捏造?)が残る蓮着寺     画像をクリック→拡大表示
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蓮着寺の創建は永正五年(1508)、伊勢新九郎(後の北条早雲)が相模を平定しつつあった時代で、日蓮宗(法華宗)は既に宗教界の主流になっていた。創建の前にも無人の堂があったと伝わるが僧侶が常駐する寺となったのが永正五年、この地を治めていた小田原北条氏の家臣・今村若狭が海沿いの70町歩を寄進し祖師堂を建てたのが最初と伝わる。開山和尚は正乗院日云、日蓮聖跡を訪ねて領主に勧進を求めたらしい。「弥三郎伝説」はこの頃から広まったのだろう。
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※本満寺御書: 広布山本満寺は京都鶴山町の日蓮宗寺院で室町時代の応永十七年(1410)創建。
御書は十二世日重(1549〜1623)が著した教書で、権力者とのトラブルを避け宗門存続のため秀吉と融和し方広寺大仏殿の千僧供養会への参加を主張した。
日蓮が説いた教義の根幹である不受不施を主張した日奥が日重と対立、日奥が寺から退去した。
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※不受不施: 法華宗信者以外からの布施を受けず、法華宗信者以外の供養をしない」との(やや教条主義的な)思想。道の駅くりもと(別窓)で少しだけ触れた。
日蓮は特に宗派を名乗らず、生前は「自分は法華経の行者である」とだけ宣言したのだが...権威と組織の発展に従って権益が発生し、その権益を巡るトラブルが派生するのは宗教も北朝鮮も政界も同じレベルなのだろう。日蓮宗(法華宗)の教義を巡る内部抗争の歴史も興味深い。
ジョン・アクトン(wiki)の言葉「権力は腐敗する。絶対的な権力は絶対的に腐敗する」 を引用するまでもない。
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それに、創価学会や公明党の連中が偉そうに正義を語っているのを聴くと虫唾が走る。自民党の飼い犬が、何様のつもりだ、まったく。


     

        左: 別荘や保養所が多い城ヶ崎海岸沿いの広大な山林21万坪が蓮着寺の敷地で、俗な言い方をすれば東京ドーム15個分の面積がある。
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        中: 石段から本堂へ。左に鐘楼、右にはヤマモモの大木が枝を広げる。宗教関連の催事には大勢の信者で混雑する場所で、2010年には
日蓮大聖人伊豆法難七五〇年の大規模なイベントが開催された。
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        右: 正式な宗派は法華宗陣門流で本山は三条市の 長久山本成寺(wiki)。海風に晒された本堂は(さして旧くはないが)風格がある。


     

        左: 天然記念物のヤマモモ(雌雄異株、この樹は雌株)は高さ15mで幹の周囲は7.2m、東西22m×南北18mに枝を広げている。
ヤマモモの自生は伊豆半島が北限で、樹齢は1000年を越しているらしい。つまり日蓮が上陸した時には既に巨樹の姿を呈していた。
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        中: こちらは遊歩道の途中にある「石喰いのモチノキ」。成長する過程で石を抱え込んだのだろう。最近流行の「根性なんとか」の仲間だね。
境内周辺には他にも日蓮が濡れた衣を乾した袈裟掛けの松(二代目)や、藪椿の群生などが見られる。
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        右: 本堂から500mほど歩くと視界が開け島崎(日蓮崎)先端の俎岩が見える。弥三郎の舟に移った日蓮は手前の入江に上陸した、らしい。


     

        左: 俎岩手前の入江に建つ蓮着寺奥の院。波を避けて和船が入れる砂利の浜で、鎌倉から流された日蓮がここに上陸した可能性はある。
蓮着寺建立の前に無人の堂があったとの伝承が本当なら、その場所はこの辺だろう。
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        中: 少し怖いけど崖上の「灯明台」(古式の灯台か宗教施設か不明)の縁から俎岩が眼下に覗ける。ここに船を着け囚人を降ろすくらいなら
横の入り江近くに寄せて浅瀬に突き落とす方が相互にメリットがあるだろうに、「俎岩に置き去り」の方が劇的な表現なんだろうな。
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        右: 遊覧船が視界を横切るシャッター・チャンス、水平線には伊豆大島が浮かんでいる。直線で約20km、本土からの距離はここからが最も短い。

この頁は2019年 6月28日に更新しました。