伝・経基王の館跡(鴻巣) 

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遊具のある小さな公園の一帯が 経基王 の館跡と伝わる。往時を語るのは片隅に建つ石碑のみ、校庭の反対側にある「ふるさとの森」に寄れなかったのが悔やまれるが...いずれ近くを通った時に再訪しようかとも、思う。
しかし個人的に城跡巡りには興味がないし、この館跡の場合は将門記(しょうもんき)に「武蔵介経基と足立郡司武蔵武芝が争乱し、平将門 が調停を試みた」や「経基の営所」の記載があり、ふるさとの森=経基館に決めたらしい。要するに、中世の砦跡と経基館を結ぶ根拠は皆無なんだね。
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ちなみに、発掘調査(たぶん教育委員会だろ)では中世以降の陶器片が見つかっただけ、と聞いた。正直言って余り再訪問の意欲が沸かなかっただけの話。
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地図はこちら、現地の紹介については こちらのサイトが詳しい。
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   ※将門記: 作者不明の軍記物語で、将門が乱を起こす前後から討伐されるまでを描いている。
           成立年代については将門が死んだ直後、平安末期、鎌倉時代など諸説あり、確定していない。

 
     

          左: 伝・経基館周辺の航空写真。鴻巣高校を挟み北側の大間公園に大きな石碑が、南側の「ふるさとの森」に城跡の濠や土塁が残っている。
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          中&右: 公園の隅に石碑が建っている。この碑の経緯と「ふるさとの森」の館跡碑の関係を確認してみたい。経基が武蔵国に滞在したのは
                 承平八年(938)に着任して長くても数ヶ月、それほど本格的な城砦を構築できる余裕などあり得ない筈だ。

この頁は2019年 7月27日に更新しました。