鹿路場峠へ向う古道跡の頼朝石 

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大見郷 右:こんな物もある、頼朝腰掛け石・別名「銭瓶石」     画像をクリック→拡大表示
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徳永川東岸の県道12号を登ると途中で伊東に下る中伊豆バイパスの入り口(現在は無料、平成20年まで360円だった)を過ぎ、狭い屈曲路を約4kmで峠に至る。地形から考えると、伊東奥野と鹿路庭峠に向かう道(県道12号)を結んでいた古道・奥野道も県道12号に準じるルートを辿っていたのだろう、と思う。
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さて...に近い冷川インターそばの県道12号徳永から狭い舗装道路に入って 松月院の下段・東向寺(別窓)の前を過ぎて1km弱登ると、ガードレールの手前で農道が左の低地に分岐する。この道を左に下ると頼朝石のすぐ下側を通り、冷川を渡って伊東に通じていた奥野道のルートとなる。
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農道に入らないで舗装道路を更に20mほど進むと「頼朝石入り口の表示」があり、この奥には鹿路庭古道から分岐して奥野に通じていた古道の一部が昔日の面影を残している。
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この鹿路庭道は伊豆赤沢で 河津三郎祐泰を遠矢に懸けた 大見成家 と八幡行氏が大見郷へ戻って来たルートであり、伊東に向かう奥野口は曽我物語の原点となった 伊豆奥野の巻き狩り(別窓)が開催された場所を経て伊東葛見荘に下るルート、どちらの古道も明治時代半ばまで利用されていた。
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鹿路庭峠には大室山南麓の池地区に下る道と、八幡野(赤沢方向)に下って相模湾沿いの東浦古道に接続する道が分岐する地点でもある。
頼朝石の地図はこちら、徳永川沿いに「筏端」の地名が残っているのは、伐採した材木の運搬に川を塞き止めてダムを造り一気に切り落として流す場所だった経緯から。更に奥には頼朝が雨宿りをしたと伝わる烏帽子石(高さ12mと7mの石が抱き合っている)もあるが、これは行くルートが判らない。古い地図から推し計ると この辺 じゃないかと思う。伊豆スカイラインから見えるか、或いは車を停めて歩ける範囲の可能性も、ないとは言えない。

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        左: 鹿路庭峠の方向へ登る舗装道路。道幅は狭いが対向車には滅多に遭わないし、所々に退避場所もあるから初めてでも安心して走れる。
目印は右に分岐する道路際に浄水場の貧相な看板があること。道路左側の頼朝石の黄色い案内板は判りやすい。
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        中: 前の画像中央付近から農道(私道)を左に下ると川沿いの農地に至る。頼朝石はすぐ右手の斜面、山葵田の手前にある。
        右: 農道に下る分岐の少し先に鹿路庭峠に至る旧道の跡が復旧・保存されている。30mほど歩くと頼朝石の上、農地の反対側に行き着く。


     

        上: すぐ先で藪の中に消えて行く古道のすぐ横、徳永川を見おろす斜面に突き出した平らな頼朝石は如何にも休憩向きに見える。
この石から更に3kmほど南に登って尾根を越えた西側斜面にも、巻き狩り途中の頼朝が雨宿りしたと伝わる烏帽子石がある、と伝わる。
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これは冷川から鹿路庭峠に登るルートではなく、中伊豆から最勝院を経て萬城の滝に至る途中の菅引地区から山道を30分以上登る必要があるらしい。高さ約12mと7mの二つの石が人の形に支えあって、隙間には7〜8人程度なら余裕で入れる空間があるという。伊豆スカイライン南西にある丸野平別荘地(東急)の付近だと思うが、いつか機会があれば確認してみたい。
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伊豆スカイラインの冷川ICから終点の天城高原ICの間には「万天の湯」(既に廃業) ・ 中伊豆リハビリセンター世界真光文明教団本部(公式サイト) ・ 中伊豆グリーンCCなど玉石織り交ぜて点在する。終点から遠笠山道路を5kmほど登ると天城高原GC、ここの駐車場は天城連峰の万二郎岳(1299m)と万三郎岳(1406m)へのベースキャンプに利用できる。

この頁は2019年 6月22日に更新しました。