新潟県 39駅 の中で 11番目 に開業した駅    国上くがみ(ふれあいパーク久賀美) 

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記載は全て訪問時点の情報です。特に時間や価格など、変更されている可能性に御注意ください。


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【 裏手に市営の温泉、弥彦神社や古刹・国上寺も近い。このエリアでは貴重な存在だ。】

鳥瞰図
新潟県でも屈指の名所である国上寺と弥彦神社の中間にあり、中越地方の観光には最適な根拠地になる。
汚かったトイレは改装したし、足湯があるし、地域の紹介コーナーや休憩施設もよく整っているからこのルートを走る時には見逃せない道の駅だ。立ち寄り湯が隣接しているのも有難い。
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燕市には1300年の歴史を持つ国上寺や洋食器が代表する地場産業など見所は多いが、北西に隣接している弥彦村も面白い。越後一之宮である弥彦神社の門前町で、道の駅国上のある分水町や魚市場で有名な寺泊との合併を目指したが計画は破綻。それぞれの自治体がそれぞれの思惑を抱えて合意には至らなかった。
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結果として分水町は吉田町と合併して燕市を新設し、寺泊町は長岡市に編入合併、弥彦村は9000人未満の人口による単独の道を選んだ。巨大化を目指すだけではなく、明快なコンセプトでの村づくりは興味深い。
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JR弥彦線の終着駅で交通の便に恵まれていること、山頂までロープウェイが通じている弥彦神社や弥彦温泉の集客力、新潟県で唯一の弥彦競輪場(村営)など観光に寄与する施設が多いことが背景にある。
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最近では「全村IT化」と銘打って公衆無線LANのFreeSpotを導入し、村内の店舗や公共施設の殆どでネットに接続できる状態になった。詳細は こちら、スマート・フォンなんか使う気にならない私には実にありがたい。

基本データ

燕市国上5866-1  0256-98-0770  休業:月曜と12/29〜1/3  県道2号沿  日本橋から一般道で 309km

リンク先
近くの駅は
駐車場

公称は大型車15台+普通車190台、こんなに必要あるのかなと思うほど広い。駐車スペースに悩む心配は全く不要だ。

騒 音

大型車は脇道の横に分離されている。交通量も少ないから駅舎前の県道沿いでP泊しても車の騒音は気にならない。

物産館

10〜17時半、大部分が展示スペースで実質の売店は農産品直売所(10〜15時・12〜4月は日祭日のみで10〜13時)だけ。

食事処

11〜15時半(休日は16時半まで)・月曜休。地粉100%の蕎麦とお握り程度の軽い食事のみ。ゆっくり楽しむ食事なら弥彦市内
  か寺泊まで足を伸ばそう。

軽 食

食事処が軽食を兼ねる。ソフトクリームと飲み物、スウィーツが多少ある程度。休日には駅舎前に屋台が出る。

休憩施設

利用できるのは9〜17時半、かなり広いスペースでのんびり休憩できる。地域の案内&紹介機能も充実している。
足湯の裏側に子供用足踏みカートのコースが完成した。また9〜17時まで使える無料レンタサイクルも準備している。

トイレ施設

別棟の24hトイレは2016年に新築し大改装、TOTOの最新システムを導入した。女性トイレには給湯付きの洗面コーナーを新設、すべての洋式トイレは暖房便座とウォシュレットを備え、多機能トイレにはオストメイト・ベビーチェア・ベビーシートが取り付けた。
新潟県内でもワースト3に入る不潔なトイレが一躍ベストスリーに数えられる様になったのは実に喜ばしい。

温浴施設

駅舎の裏側に源泉(ただし加温した冷鉱泉)を引き込んだ結構立派な屋内足湯がある。10〜21時、無料。
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150m裏の丘に市営の てまりの湯、10〜21時(受付は30分前)・第2と第4月曜休(祭日なら翌日)、サウナ・露天・休憩室付き。
  タオル付きで500円(17時〜300円)、シャンプー類完備、源泉は22.5℃の鉱泉で特徴は乏しいが飲食物の持ち込み自由。
   料金が安いのは嬉しいが、近隣住民の交流場なので混雑するのが難点。
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2km北(弥彦寄り)にホテル聚楽が親会社のさくらの湯、10〜22時・無休(メンテ休業あり)、バスタオル・タオル・浴衣付き・
  露天など設備は充実、1000円(平日は17時〜600円)。ここのロビーでもフリーWi-Fiが利用できる(電源利用も可)。
  平日に食堂のみ利用する場合は入館料不要、食事はまぁまぁ旨くて安いからここを利用して駅でP泊する手もある。

犬の意見

駅舎裏手から酒呑童子神社(近年の建立)まで広がる公園でのんびり散歩が可能、かなり快適な環境なのだが「犬の散歩禁止」の看板が目立つ。酒呑童子神社には五重塔があり、神仏習合の表現なのか単なる無知によるものかは判らない。
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伝承に拠れば、第五十代桓武天皇(在位781〜806年)の子が罪を得て流罪となり、同行した従者の石瀬俊綱が戸隠山に祈願したところ16ヶ月が過ぎて待望の男子が産まれた。外道丸と名付けられた子は成長と共に手の付けられない乱暴者になったため国上寺の稚児として預けたが母親は心痛の果てに病没、心を入れ替えた外道丸はひたすら仏道の修行に励んだ。
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稀に見る美青年の外道丸には近隣の娘たちから多くの恋文が届いたが、全て封を切らず葛籠(つづら)に放り込んでいた。
ある娘は恋文の返事がないのを悲観して自殺、それを知った外道丸が葛籠を開けてみると煙が立ち昇り、気がつくと自分の顔が鬼に変わっていた。この時から外道丸は修行を捨てて数々の悪行を重ね、栃尾の鬼・茨木童子を従えて信州戸隠に棲み付き、後に丹波大江山に移って酒呑童子になった、という。
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そんな経緯に依拠した酒呑童子神社は恋文の大切さを説く縁結びの神社で、社殿前には縁結びの文箱も置いてある。 ただし、この神社は地元の異業種交流会が伝承をパクって平成九年に建てた観光用施設。真面目に参詣するのは馬鹿らしい。

近隣の見所

道の駅から南へ迂回し、大河津分水路から参道を2km登った山中に 国上寺 がある。 ここは良寛和尚が中腹の五合庵に
  住んで修行に明け暮れた地であり、曽我兄弟の末弟が禅師房として修行した地であり、越後一ノ宮の弥彦神社を
  統括して栄えた別当寺でもある。下記の地図を参照されたし。外道丸が顔を写したと伝わる「鏡の井戸」もある。
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3km北に30mの大鳥居で知られた越後一ノ宮 の弥彦神社がある。画像などは国上寺と共に巻末に掲載。
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魚のアメ横 寺泊中央市場 まで約8km、広い駐車場や飲食店が並ぶオバサン向けスポットだ。前回訪問した時は観光バスの
  ラッシュだったが最近はどうだろうか。魚は思ったほど安くはなかったので少し拍子抜けした記憶がある。

P泊する時の
総合評価
 ★★★★★★★★★★   EV車充電・不可、Wi-Fi接続・可、 新潟県で EV充電できる道の駅」を参考に。


     

        左: 道の駅裏手の酒呑童子神社から国上寺までは直線で約1kmだが直接行く道はなく、南の大河津分水路まで迂回して参道を登る必要がある。
公共の交通機関がないため車でない場合は上越新幹線の燕三条駅かJR越後線の分水駅からタクシーを利用するしかない。
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        中: 弥彦方面から南下して道の駅へ。「さくらの湯」から約1.5kmで広い駐車場が見えてくる。左側は一面の水田、越後でも屈指の穀倉地帯だ。
        右: 手前の駐車場には国上寺に縁の深い良寛のモニュメントが建っている。道の駅のサブ・ネームは「ふれあいパーク久賀美」を称している。


     

        左&中: メイン駅舎の「ふれあいパーク久賀美」は県道沿いに20台ほど駐車できる。右手の駐車場を合わせると200台以上を収容できるから
よほど大きなイベントを開いていても不足する心配はない。入り口のすぐ前に洋食器など三条地場産業の展示コーナー、その左に休憩
コーナーと食事処、駅舎の左奥が農産物の直売所「ぶんすいふれあい市」になる。
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        右: 右側の別棟にも軽い食事の出来る甘味処の「花てまり」があり、メイン駅舎との使い分けが判らない。ひょっとすると現在は変わっているかも。
国道に面した右手にも饅頭などを売る小屋があり、いずれにしても麺類など軽い食事と飲み物・甘味などに関する限り不便さはない。


     

        左: 駅舎に隣接した駐車場から弥彦側のサブ・駐車場を。アスファルト舗装の先にも芝生広場があり、地価が安いとはいえ実に豪勢な使い方だ。
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        中&右: メイン駅舎を入るとすぐ休憩用のソファを置いたスペースと、燕市の物産などを紹介するコーナーがある。自販機もあり、ショーケースの
中には地場産業の洋食器や金属加工の製品などが並んでいる。


     

        左: 展示コーナー左手のスペース。訪問した時には使い方が決まっていない感じだったが今は有効活用していると思う。この左手前が食事処。
        中&右: 本来の食事処(だと思う)の筈だが右奥の厨房は使っていないらしいしテーブルにはメニューも置いてない。やや理解に苦しむ状況だった。


     

        左: 農産物の直売所「ぶんすいふれあい市」の駐車場側出入り口。駅舎の休憩コーナー側からの通路からも入れる。冬は13時、夏は15時まで。
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        中: 直売所に並んでいるのは地元産のベーシックな野菜だけでスペースも狭く、直売所としては物足りない。道の駅の開駅は2002年で訪問した
のは2008年、6年も過ぎていなのに駅舎の利用方法が確定していないように見える。体験コーナーも表示があるだけで稼動していないし、
次回訪問までには改善されるのだろうか。
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        右: 駅の裏にある24時間トイレ。覆い屋みたいな二重構造に見えるのは雪避け対策だろうか。設備も管理も最悪状態だったが2016年の再建築で
設備を一新し、文句なしの状態になった。内部と施設の詳細は TOTOのサイト(pdfファイル)で確認を。


     

        左: 駅舎裏の足湯は別棟の室内タイプで10時〜21時、「てまりの湯」から引き湯している。22.5℃の源泉(冷鉱泉)を加温して流し込んでいる。
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        中: 上記した「外道丸」は恋文を焼いた煙に巻かれて鬼になった、とも伝わる。だから、ここの湯口は酒呑童子の顔を模した鬼瓦で造ってある。
ちなみに、日本の三大妖怪は(色々の説があるけど) @那須野で三浦介義明らに討伐された九尾の狐と、A保元の乱に敗れ讃岐流刑のまま
怨念を抱いて天狗になった崇徳上皇と、B大江山に棲み、首を斬り落されても頼光の兜に噛み付いた酒呑童子、である。
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        右: 足湯の内部はかなり広く、公称では40人が一緒に入れる(じゃなくて足を浸けられる、か)事になっており、私らがP泊した夜には高校生らしい
数人が遅くまで遊んでいた。あまり良い雰囲気ではなかったのは余計な心配か。


     

        左&中 :酒呑童子神社がある南西側の山裾に向って緑地が広がり、遠くにアスレチック施設と五重塔が見える。
神社の前には小川が流れており地元の「ホタルを守る会」では幼虫の餌になるカワニナ(巻貝)を田んぼから移したりして保護し、毎年6月
下旬の8時〜9時頃にはゲンジボタルとヘイケボタルが飛ぶ光景が見られるらしい。
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        右: 道の駅敷地の東端から「てまりの湯」を撮影。駐車場の隅をP泊場所にすれば約150m歩くだけで良い。裏の山裾からは「ちご道」と名付けた
ハイキングコース(一部にやや危険な岩場「蛇崩」あり、ゆっくり歩いて1時間弱程度)が国上山頂上の広場を経て国上寺まで通じている。


国上山(くがみさん) 国上寺(こくじょうじ)について

七〜八世期に編纂された万葉集にも「久賀躬(くがみ)」として載っている、新潟県では最も古い寺院である。 飛鳥に都があった第43代元明天皇(在位:707〜721年)の和銅二年(709)、越後一の宮の祭神・弥彦大明神の託宣を得て白山信仰の開祖・泰燈大師が創建し、本地佛(弥彦大明神の本体)として別当寺(神社の統括者)に任じた。古くは雲上山と呼ばれ、第46代孝謙天皇(在位:749〜758年)が「国中上一寺」と詔勅してから国上寺と呼ぶようになった。
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また承久の乱(1221年)では後鳥羽上皇側に属したため鎌倉方が全山を焼き払っている。吾妻鏡に拠れば北條朝時率いる鎌倉軍は越後国府を制圧して北陸道を進み、この時に配下の佐々木信實(盛綱の子)は加地庄願文山(新発田市金山城)まで遠征して上皇方の深匂家賢を討伐している。国上寺は信實の進軍ルートにあり、この時に焼き討ちされたのだろう。元々は平家の有力武将だった城一族が支配していた土地である。
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本尊は第45代聖武天皇后の光明皇后が下賜した阿弥陀如来像、行基菩薩が彫りインド出身の渡来僧・婆羅門僧正が開眼した。開帳は12年に一度、子年の10月1日〜11月10日までの40日間のみ、もちろん撮影は許されず、参詣者は本尊と結んだ糸を握って功徳を祈ると言う。前回の開帳は平成二十年(2008)だったから次は2020年、東京オリンピックが開催される年になる。
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創建当初は修験道の道場、その後は法相宗→天台宗→真言宗醍醐派と改宗を重ね、現在は真言宗豊山派に属する。これは支配者の変遷に因るものだろう。20年以上も国上寺の草庵に住んだ良寛は宗派の異なる曹洞宗だったから、宗派の違いについては比較的寛容だったのかも知れない。

     

        上: 参詣者用駐車場に近い朝日山展望台から。標高313mの国上山頂上より100m以上低いが越後平野と大河津分水路を見渡す事ができる。
は放水路の役目も果たす。詳細は約5km南の分岐点にある 信濃川大河津資料館で。
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        中: 大河津分水路と越後平野を見渡す展望台から「五合庵」近くに渡る千眼堂吊り橋。深い緑の中に朱色のコントラストが美しい。長さは124mで
巾1.5m、谷底までは35mあるからちょっと怖いが太いワイヤーが横から保持しているためほとんど揺れない。
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        右: 空海(後の弘法大師)所縁の五鈷掛けの松。20年と定めた唐への留学期間を僅か二年間で全てマスターし帰国の途に就いた空海が仏教興隆を
祈って仏具の 三鈷杵と五鈷杵(wiki)を船から投げた。三鈷杵は高野山に落ち五鈷杵は国上寺の松に引っ掛ったことから国上寺に真言密教の
道場が開かれた、と伝わる。その松の残骸がこれなのだ、と。


     

        左: 国上寺本堂は中興開山・萬元上人慧海の再建による。萬元は奈良吉野に生まれ16歳の年に比叡山延暦寺で出家、雲水として諸国を巡り、
1600年代末に国上寺に入り良長僧都に真言密教を学んだ。後に塔中である普賢院の住職を務めながら荒廃した国上寺本堂の再建に努め、
享保三年(1718)6月に落成法要を行ったが、当の萬元は同年3月23日に行脚途中に没して参列を果たせなかった。
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萬元上人は万治元年(1658)生まれで享年60歳。寺が贈った庵に住み、一日に五合の米(男は五合・女は三合の習わし)を支給された事から
その庵を「五合庵」と称した。良寛は萬元から五代後の住人で、五合庵の名称をそのまま継承している。
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        中: 方丈講堂(客殿)は元文二年(1737)、萬元上人が没した20年後に建立された。本尊は上杉謙信の帰依を受けたと伝わる千手観世音菩薩像、
道の駅「うみてらす名立」に近い上越市の岩屋堂を一番とし三条市院内の最明寺で結願する 越後三十三観音霊場 の第二十二番札所でもある。
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        右: 弘法大師像を祀る太子堂は宝永八年(1711)の建造。この年に完成間近の本堂が再び焼失し、萬元はもう一度建立に尽力することになった。
これだけ尽力を重ねたら中興開山の尊称も当然だよね。本堂(阿弥陀堂)再建の工事中は本尊と脇侍像を安置した御仮堂となり、現在は本堂や
方丈講堂(客殿)と同じく鋼板葺きで覆っているが本来は茅葺きである。


     

        上: 文化元年(1804)に修行を兼ねた流浪の旅から越後に帰った47歳の良寛が国上寺の扶助を得て14年間を暮らした五合庵。良寛が心身共に
最も円熟し、多くの書や和歌を書き托鉢や座禅に明け暮れていた時代である。
そして老齢のため坂の登り下りが苦痛になった61歳で乙子(おとこ)神社境内の草庵に移り、更に起居が苦しくなった70歳で島崎村の木村邸に
移って庇護を受けた(「道の駅 良寛の里わしま」を参照)。
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五合庵は良寛が没して75年が過ぎた明治三十九年(1906)の大雪で倒壊した。初代庵主の萬元上人から数えると218年が過ぎているから
完全に老朽化していたのだろう。大正七年(1918)になって同じ場所に再建、間口2間(3.6m)×奥行9尺(2.7m)だから概ね六畳で敷地の
約138坪を含めて初代の五合庵とほぼ同じ大きさである。茅葺きの屋根は近年に葺き替えているが既に90年以上が過ぎている。
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庵の奥には萬元上人の像が安置され裏手には墓標がある。また庵近くの杉の根元には良寛の筆跡を写して「焚くほどは 風がもてくる 落葉かな」
の句碑が建っている。もちろん五合庵に住んでいる時代に詠んだ良寛の句である。


越後国 一の宮 弥彦(正しくは、いやひこ)神社について

創建年代は不詳。社伝に拠れば、祭神の天香山命(あめのかごやまのみこと)は越後開拓の任務を受けて野積の浜(現在の長岡市)に上陸し、漁業や製塩・稲作・養蚕などを教えた。天香山命は越後国を造った神として崇敬され、「伊夜比古神」として弥彦山に祀られた。山頂(標高634m)にある奥宮が神廟である。江戸時代には越後高田藩主の松平忠輝の篤い崇敬により500石の寄進を受けて朱印地となり、朝廷からも同様の崇敬を受けたという。
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八世期に編纂された日本最古の歌集・万葉集には国上山を詠んだ歌と共に弥彦神社を詠んだ歌も載っている。
「伊夜比古おのれ神さび 青雲のたなびく日すら 小雨そぼ降る」「伊夜比古 神の麓に今日らもか 鹿の伏すらむ皮衣きて 角つきながら」の二首である。
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古い社殿は明治四十五年(1912)に門前町で起きた火災により社殿は延焼し、現在のピカピカ社殿は大正五年(1916)に再建したもの。宝物殿(300円)には越後国の刀匠志田三郎定重が応永二十二年(1415)に奉納した大太刀をはじめ源義家・義経・上杉謙信らが奉納した武具などが陳列されている。これは、一見の価値あり、だ。とりあえずの詳細は 参考サイトで。周辺の詳細地図はこちら


     

        左: JR弥彦駅も弥彦神社拝殿の造りをコピーしている。元々は大正時代に参拝客を運ぶ目的で敷設した鉄道で、当時は参宮線と呼ばれていた。
弥彦村は「全村IT化」を目指しているから、駅の待合室でも公衆無線LANでネット接続ができる。
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        中: 参道入口の一之鳥居から門前町を振り返る。悪天候の影響で閑散としているが週末や休日は結構混雑するらしい。村の人口は8,500人ほど、
小さな村だが初詣の参拝客は30万人と言われ、新潟県では群を抜く数だ。
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        右: 参道の鳥居前から左方向を撮影。100m先にトイレを備えた村営駐車場(普通車50台)があり、神社の参拝には最も近い。ここが混んでいる
場合は突き当りを左折して商工会館の駐車場(150台)へ。どちらも無料で停められるから、その分はお賽銭として忘れずに。


     

        左: 一の鳥居を過ぎるとすぐ小さな流れを渡る。かつては禊の場所だった可能性もあるが参道が途中で左へ直角に曲がっているのが気に掛かる。
ひょっとして昔の参拝ルートはここではなく、右手(現在の県道2号)から真っ直ぐ拝殿に向っていたのかも知れない。
弥彦駅南側の県道2号線を跨ぐ有名な大鳥居(高さ30m)は昭和57年(1982)の上越新幹線開通を祝して建てた、神社と無関係の観光用。
ちなみに最大の鳥居は熊野本宮大社近くの旧社地大斎原(おおゆのはら)(サイト内リンク・別窓)に建つ約34m×巾42mのコンクリート製。
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        中: 鳥居から150mで右から来た参道と合流して左へ進む。石段を登って鳥居を潜り、再び石段を登って神門を過ぎ拝殿(社殿)に向う。
右の参道を歩いて両方のルートを確認するべきだったもしれない。
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        右: 棟に付けた飾り金具が何とも煌びやかな拝殿は奥の本殿に続いている。奥宮と御神廟がある弥彦山山頂はロープウェイに乗れば10分だが
距離は600mほど、急傾斜でもないから天気さえ良ければ歩くのも趣がある。奥宮から少し先にある展望台からの見晴らしは特筆できる。